2013年12月23日

奈良の冬 写真俳句(2)

森村誠一「写真俳句の愉しみ」から
『写真は読んで字のごとく、被写体の情報を忠実に写し取ってくれる。芸術写真には感性が求められるが、俳句写真には情報が欲しい。特に俳句には、一瞥しただけでは隠れている情報が写真には写し取られる。写真の情報から俳句を創造することによって、感性の出番となる。一見平凡な写真を俳句と結び付けることによって、非凡な表現世界を創造することが可能となる。(森村誠一「写真俳句の愉しみ」五頁)』

一瞥しただけでは隠れている情報とはなんだろうか。単に撮影時に見落としただけというものではあるまい。見えているものが持つ、被写体の多面性ということなのか。「感性の出番」とは、自己の美意識、価値観などの多様性ということなのだろうか。

本郷の又兵衛桜で良く知られた奈良県宇陀市(旧大宇陀町)と桜井市の市境に位置する音羽三山の上空は、関空と羽田・成田、中部の国際空港を結ぶ航路に当たりひっきりなしに大型ジェット機が飛来する。写真は日没直後、すれ違った時を撮った一枚。

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 冬の空 航路まじわる ことはなく

長い時間見ていたが、意外なことに上空で機体が交差する瞬間はこの二機以外には無かった。衝突するんじゃないかと心配したが両機は何事もなく飛び去って行った。ジェット機の速度は時速800kmから一千kmを超えると聞くから、通過時の両機間の速度は瞬間時速二千km近くになる。地上から見ていてもあっと言う間のことだった。
 
 防空の 刃まじえる 今日の空

写真を前にして思い浮かんだ言葉は「防空識別圏」だった。今だにニュースなどで報じられるが、尖閣諸島を巡る領土問題に端を発していることであり、2010年9月に海上保安庁巡視船と中国漁船海上衝突以後の緊張がついに空域までに拡大した訳で更なる不安を煽る。かの国は機会を見つけ旗を立てに上陸するだろうか?。かつて大韓航空機がミグ戦闘機のミサイル攻撃で撃墜されたたことを思い起こす。絶対に刃(やいば)をまじえる事態に発展しないことをただただ祈る。

 飛ぶ夢を 今も見ている 冬の空

いつの頃からか覚えていないが晴れた日にはつい空を見渡してしまう。空港が常滑の中部国際空港に移る以前は、家の上空が小牧空港に離発着する飛行機の航路になっていたので見上げればほぼ確実に機体を見ることができた。小学校に上がる頃から兄達の影響で零戦や隼などの戦闘機に興味を持ち続け還暦を過ぎた今も変わらない。パイロットになりたいと思った。今でも、もし「一日署長」みたいにどんな仕事にでも就かせてもらえるという機会があれば、戦闘機の操縦士を経験したいと思っている。

次の写真は大神神社近くの四世紀末頃に築造された茅原大墓古墳の上から丸池を撮った一枚。池は墳墓の周濠の一部と考えられる。日射しのせいかあまり寒さは感じなかったが、風が吹いていたようだ。撮影時には気がつかなかったが画面の右隅に二羽の水鳥が写りこんでいた。平板になりがちなところを風の起こす波紋がキラキラと光り救ってくれている。

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 冬木立水面に青の讃えおり

  
山の辺の道筋に、近現代の著名人が揮毫した38基の万葉歌碑が建てられている。歌人、俳人、画家、茶人、作家ほか奈良縁の人たちである。そのうちの一基、柿本人麻呂の歌を棟方志功の版画に収めた画賛を彫った石碑が桧原神社に向かう桜井市穴師の車谷にある。1200年以上の時を隔て万葉歌人と版画家のまさに夢のコラボレーションである。

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しかしこの石碑、道路から一段と低く、道行く人も見過ごしてしまう場所にある。これは県道改修の際、路面が50cmほど嵩上げされてそのようになってしまったようだ。多くの歴史的文化財が道路工事の末に損なわれたり消失して行く不幸な例の一つに近い。思わず絶叫!

 歌碑を見よ 山の辺の道に 歌碑を見よ
 万葉と 昭和偉ならび 山辺道
 山辺道 万葉昭和 枯れ薄

 写真を見て創る俳句に挑戦してみた。思いついた言葉を五七五に並べることはさして難しくないし興味深い。しかし創った俳句を読み返してみても、俳人の創った句を読んだ時のような感動はない。そもそもボキャブラリーが全く足りない。こればかりは学習を続ける他に方法はないのかも。

 写真俳句に挑戦とりあえず終了

音羽三山 音羽山(851m)、経ケ塚山(889m)、熊ケ岳(904m)奈良盆地南東側の山並


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2013年12月20日

残秋の奈良 写真俳句 ⑴


以前から気になっていた森村誠一氏の「写真俳句の愉しみ」を読んだ。ノウハウ本ではない。制作過程の説明を序章としているが、実質は推理小説作家森村氏自身のエッセイ集である。写真と俳句と対になったエッセイを読み進めていくうちに、写真俳句のなんたるかがじわじわとそして確実に理解できる仕組みになっている。

『俳句にも写真にも表現したいモチーフがある。俳句と写真が合体した写真俳句のモチーフはなにか。俳写同格であるが、その時の状況によって、俳句に重点が置かれる場合と、写真に傾斜している作品に分かれるであろう。それは一句一写ごとに異なる。そこに写真俳句の愉しみの一つがある(11頁)』

「モチーフ」とは、「題材」「思想」「動機」など平たく言えば「きっかけ」のようなことだろう。コンセプト(狙い)と言っても良い。写真の題材やコンセプトに重点を置くか、目にした光景に触発された想いを俳句に結晶させるかということであろうか。次の句は撮影時のコンセプト「逆光」を句にしてみた。


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逆光を 待ち焦がれたり 山モミジ 

太陽の位置が高くなる昼間の紅葉は葉裏から太陽の光を透して見たほうが見ごたえがある。3時を少し回ったばかりだというのに谷間の空には次々と雲が流れ込み、夕暮れのように暗い。今さっきまで人々を感嘆させた紅葉は色を失い、陰鬱とした冷気につつまれている。唐突に、明るい日射しが戻り一瞬の風が葉を散らす。急いでレンズを向けたが、日はまた翳ってしまった。

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わが身なるか 朽ちゆく際ぞ 花もみじ

十二月も終わろうという頃になってもなお秋を感じる光景に出会う時がある。
雨上がりの午後奈良山の遊歩道、道筋に捨て置かれた古竹に舞い落ちたカエデの葉が貼り付いている。紅葉に染まった野山の秋を思い起こさせる。
上の句は、写真を見ていてなんだが先が見えて来た今の自分に似ているなと思い創った。花もみじというよりも「濡れ落ち葉」の方が適当でかもしれない。上五の字余りがちょっと気にいっている。
 我を見る 朽ちゆく際の 濡れ落ち葉

今回写真俳句に挑戦してみようと思ったのは、森村氏の『俳句を始めるときは誰でも素人、あまり難しく考える必要はありません。むしろ写真俳句は、俳句も写真もたいしたことがない場合の方が効力を発揮する。お互いが補いあって、意外な魅力が引き出されるんです(133頁)』という文章に触発されたことによる。そうか、だったら俳句を創ってデスストックとなっている写真にも日の目を見せてやろうかと。


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ときめきと 淋しさを知る 始発駅
身を寄せて 黄泉の旅路を 冬の川

猿沢池南西角、池を九の字に囲むように水路がある。排水溝のように細い川だが「率川(いさがわ)」というれっきとした名前を持つ。春日山に発源し佐保川に入る。その水路にかかる石橋(嶋嘉橋)から舟形の島に祀られた石仏群を見ることができる。それまでに何度も渡っているのに全く気づかなかった。そこが橋という認識もなかった。率川の船地蔵と呼ばれている。後で知ったことだが川の改修や、大雨などで流れ着いた無縁仏をまとめて祀ったものらしい。このような例は奈良ではよく聞く話である。

古都奈良では路傍や辻々に石仏を見ることは珍しいことではない。野山を歩いていてもさまざまな石仏によく出会う。かつて仏都と呼ばれ1300年の歴史を持つ街だ、これまで一体どれだけの生命が誕生し、消えて行っただろう。その生の証として石仏は存在するが、この船地蔵あまりにも淋しすぎる。身を寄せ合って浄土への旅立ちを待つ人のように思える。どちらかというと俳句に重点を置いたつもりだが、いい俳句ができたと思っている。自画自賛?

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踏み入れば 陽の明るさや 秋の里山


奈良山は常緑樹と落葉樹が混在する里山である。夏の間、森は入山を拒むがごとくに鬱蒼とした姿を見せる。12月、意を決っして(秋夏は山蛭や蛇が出るし、猪も怖い)山道を上がって行くと、背の高い大きな木はすっかり葉を落として尾根道は意外に明るかった。

森村氏『難しく考えることはない。要は、自分の思うがままに感性に従って発句し、シャッターを切ることである。一句一写、これはと思った瞬間を切り取ることによって、自分だけの新たな表現世界がある(13頁)』と言う。思うがままに俳句は創れないが、シャッターなら気軽にいくらでも切れる。そのうちの一枚。

「写真俳句の愉しみ 四季の彩り」著者 森村誠一 06年4月30日発行

残秋は秋の末、晩秋など季節を示す言葉だが、視覚的な表現として使われている場合も多い。よく似た言葉に「残暑」があるがこちらは言葉そのまま立秋を過ぎた後の暑さを言い表し、季節を表す言葉ではない。11月の上旬、暦の上では立冬を境に季節は秋から冬に変わるが、視覚的にも体感的にもまだまだ秋の入口といった感じだ。ところで気象用語の「冬日」は一日の最低気温が0度C以下の日を言う。ちなみに奈良市では11月30日0度を記録した。
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2010年09月10日

大神神社・巫女たちの美しさは

大神神社では境内を足早に行き来する巫女をよく目にする。大神神社の場合、
拝殿を挟んで左側の勤番所と右側の社務所が離れて配置されているので、その
間の移動のために巫女も他神職等も境内を往来せざるを得ないからであろう。

 s-P9093213大神神社.jpg 

最近気がついたことであるが、大神神社の巫女の美しさは際立っている。
雪のような白い肌、秀麗な広い額、涼しげに澄んだ瞳、細面。まさに神がか
り的な美しさで、目を離せないというか心を奪われてしまう。
「羞月閉花(しゅうげつへいか)」とは彼女たちのために用意された言葉では
ないのか。月も恥じらい花も引け目を感じて閉じてしまうというこの言葉は、
彼女たちの美しさを表現するに実にふさわしい。


 s-P9093266巫女.jpg 

神社にあって巫女という職業は神職の娘・近親者など、その神社に縁のある
人がその仕事に就くことが多い。
調べてみると、大神神社の神職は実に二千年以上の伝承を持つ家系で、その
親族、近親者にも同じ血が流れる。
特に女性の場合は神代の昔から美形が嗜好選抜され続けた結果、究極のアジ
ア系美女として純粋培養されたのであろう。以上は学説でもなく確たる根拠
もない持論ではあるが・・・・まあそういうことであろうと思う。

 s-P1080338大神神社拝殿.jpg 
 09年1月撮影

ところで巫女は、穢れを払い神を鎮める様々な行為を補佐する為、未婚(つま
り処女)であり心身ともに健康な女性が求められた。もっとも真偽は本人が知
るのみであろうが、かつては血統正しい貴族の深窓の箱入り娘(姫)のみが巫女
に迎えられた。女性が巫女として奉仕できる年数は短く、義務教育終了後(現
実的には高等学校卒業)から勤務し、20代後半で定年を迎える例が多い。
そのため、巫女はみずみずしいというか麗しい若い女性に限られている訳だ。
定年以降に神社に勤務する場合は、神社指定の制服や(大神神社は)空色の袴を
履くなどして服装で区分されている。

参照 Wikipedia 巫女
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3
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2010年04月06日

奈良「たかばたけ茶論」と洋画家中村一雄氏のこと

奈良高畑町にある「たかばたけ茶論」の前を車で通過した時、土塀におおいかぶさるように咲く
赤い椿の花が目についた。
欧風なつくりの土塀と椿樹の組み合わせがとても魅力的だった。


 土塀と椿部分.jpg 


写真を撮っていたら、鉄扉があいて、廃材を積んだ一輪車(猫車)を押したこの館のご主人らしき
男性が出てきた。
「こんにちは。写真撮らせてもらっています。椿、綺麗ですね」、とご挨拶をしたら、
『どうぞ撮って行ってください。・・・・庭の中で撮りますか』と言ってくれたんだ。
なんてラッキー。その男性が画家中村一雄氏だった。


 椿樹と土塀.jpg 


志賀直哉旧宅と道を隔てたすぐ隣にある「たかばたけ茶論」のことは、これまでに何度もその前を
通ったことがあり、気にはなっていた建物だった・・・・


 素焼の屋根瓦に落椿.jpg
 


敷地を囲む和洋折衷の土塀が印象的で、ことに勝手口の波打ったような形状の瓦屋根を見るのは
初めてのことだった。「たかばたけ茶論」の赤土色の土塀に、南欧やスペインの景色を描いた
洋画を連想したことを覚えている。
オープンカフェにしている樹影深い雑木林風の庭園と、その奥の涼しげな洋館は、その日巡った
奈良の寺院とは全く趣を異にしていて、少し抵抗感があり、門をくぐることに躊躇してしまった。
二年前の奈良への夏休み旅行に、新薬師寺を訪れ時の帰り道の思い出。


 志賀直哉旧宅白壁.jpg 


高い木立に覆われた薄くらい庭園に招き入れられた。
椿樹を前にして、『この椿は相当に古い木ですよ』 『どういう風に撮るのですか』とご主人。
「椿の花は下向きに咲くので、いつも内側に回って撮ります。この白い幹の色が好きで・・・・」
と私は答える。
『なるほど。丁度ね、次の作品展に何を描こうか迷っていたところなので、いいヒントになりま
したよ』とご主人。 
ええっ! 職業画家?  そういえばなんとなく文化人の雰囲気を漂わせる容姿風貌、垢抜けた着こな
しスタイル。
『名古屋の高島屋でも個展をやったことがあります』
『この土塀は』と、洋館及び土塀を、国に文化財指定の申請をした意義をお話してくれた。 
 

 たかばた茶論の花椿.jpg


その時まで、この男性の名前も、画家であるということも全く知らずに話していたのだ。
最後に『なかむらかずお、と申します。どうぞお見知りおきを』と自ら名乗られる。 陽のあたる外には鮮やかに、内に回っては静かに頭を垂れる椿花のようなお人柄。

「中村一雄氏、75歳 洋画家 ラテン系奈良人」帰宅後早速インターネットで調べた。
中村氏は、志賀直哉旧宅が取り壊されようとしていたとき、その保存運動に一人立ち上がり、そして
成し遂げた偉大な人物でもある。


 石組と落椿.jpg



ラテン系? 彫りの深い目鼻立ちは、あの映画ゴッドファーザーで観た南欧イタリアの男たちわ連想
させるが。
気さくで礼儀正しく親切な中村一雄氏のファンになってしまった。
是非次回作品展を見たい、と思っている。


 たかばたけ茶論.jpg


カフェ側入り口(勝手口)からではなく、いつもは閉ざされている正門からしかも当主の中村氏に
邸内に招じ入れられてのことは、すばらしい思い出、誰かに自慢したい話になった。
中村氏も『ほんとうに幸運でしたね』と強調、連発されていたことなのです。




※「たかばたけ茶論」
http://takabatake-salon.jp/top.html
HP 「About Salon」のコピー。

昭和の初め、志賀直哉を中心とした白樺派の文人や画家が集い、「高畑サロン」と称しました。私たちは此処に高畑サロンの復活を願い、現代人のゆとりある交流の場にしたいと考えます。高畑族の一員であった足立源一郎画伯が大正八年、南仏プロバンスの田舎屋を模して志賀邸隣に建てた洋館は、その後、洋画家・中村義夫が引き継ぎ、現在、そこに住む
洋画家・中村一雄夫妻が昭和56年11月(1981年)にガーデンを開放しカフェにしたものです。平成12年、その洋館及び土塀が、国の登録有形文化財に指定されています。


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2010年03月15日

山の辺の道に「椿」を探して(1)

「椿」は春の訪れを知らせる木。春に咲く梅や桜にくらべて花木としての華やかさには負けるものの、
椿には物言わぬ神秘的な気配が漂う。
緋色というのだろうかあの濃い赤色と、深緑色の艶々とした厚い葉を見る時、思考の深みに吸い込ま
れるように感じる。
花言葉は「控えめ」「慎み深い」。赤い椿は「高潔な理性」、白い椿は「控えめな愛」だという。
なんだか素直に納得できる。


 三月堂の崖に咲く椿.jpg 



椿は日本原産の花でヤブツバキが原種。山の辺の道では石上神宮から夜都伎神社の間の山道で良く
目にする。竹やぶの縁や高木の下など半日陰のところで咲く。赤い花が咲く時季以外ではつい見過ご
してしまうだろう。
「控えめ」というのはこういう植生から来ているのかもしれない。


 山の辺の道「藪椿」.jpg   


寺や神社では必ず言ってもよいほど目にするのは、神木、霊木といった宗教上の理由や、公卿、僧侶
の間に流行した茶道、華道の影響もある。が、それ以上に「椿油を採るということに拠るところが
大きい。
奈良元興寺の古い伽藍図には椿園があり「椿樹数株採実為油」と記されているという。旧椿園は
元興寺極楽坊に近くにある「花園町」の地名が往時を物語っている。かつて椿は日本各地で採油を
目的としてもっともっと栽培されていたはずだ。


 天理市木堂町農家の椿.jpg  


「椿」を描いた絵画の歴史を見ると、「梅」にはついて中国から描法が伝わったので日本でも特に
山水画に多く残っているが、「椿」は日本原産の花木であったために中国で描かれることはなく、
日本では江戸時代以降にポピュラーになったという。好きな絵画として速水御舟の「名樹散椿」と
川合玉堂「椿花小禽図」がある。しかし、木全体を描いた絵は少ないようだ。花鳥図や、枝に数輪
の花という構図が多い。絵画のせかいでも椿は控えめのようだ。


 奈良公園の椿.jpg 
 
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2010年01月31日

月を写すということ

月の写真を撮るようになったのは「花鳥風月」という言葉を意識するようになってからのこと。
日本人の自然観を表すモノのひとつとしてある「月」だが、自分は何故か懐かしく、引き込まれ
るようなそんな抱擁力というか、安らぎを覚える。それは、月の引力がなせることなのだろうか。


 s-飛火野月覗く.jpg
春日山に灯る十五夜の月 09.12.02 17:16 


松岡正剛氏の著書「花鳥風月の科学」の中にとても興味深い言葉がある。
『私は月は「ほか」そのものであると言いました。それは、かつて古代人が「山」や「風」に感じ
てきた「むこう」(thear)というものと同質です。それなら、月と何かでやっと一対になるという
「間に合う勘定」というものがあるはずなのです。われわれは、そういう”月的な相手”というも
のを探している旅人です。結局、花鳥風月とは「片方」を求めて「境」を感じる世界なのです。』


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東大寺西塔跡から見る三日月 09.10.21 17:41 

難しい言葉だが、「片方」とは「自分自身」の中にあると解釈している。例えば「月」を見て何
を思うか、月に何を求めるのかという「思索の旅」の中に答えがあると考えている。


 s-崇神陵濠に映る月影.jpg 
崇神天皇陵の濠に映る月影 09.10.04 18:17

月を撮ることは意外に難しい。「闇」を思ったように撮れないという「技術的」なことや、思い
描く月を見られる機会が少ないという「気象的・天体的」制約がある。
しかし最も難しくさせてい
るのは、「月」の謎深さではないだろうか。花に感じるものとは違う。水に感じることとは違う。
風に感じるものとも違う。その何か違う感じをもう少しはっきりとさせるところに、旅の理由があ
るように思う。その旅が実は「境」なのではないかと。


 s-PB234885若草山から奈良市街地.jpg  s-P1299078法輪寺十三夜の月.jpg
 
若草山から奈良の市街地を見る 09.11.23 17:26
法輪寺十三夜の月 10.01.29 17:53


 


 
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2010年01月09日

俵万智「短歌をよむ」に習う写真作法

『短歌を詠むはじめの第一歩は、心の「揺れ」だと思う。』
書店でこの文章を見て、迷わずこの本を購入した。俵 万智著「短歌をよむ」
※岩波新書 1993年10月20日 第1刷発行 2007年1月25日第20刷発行


 柳生街道山茶花.jpg
 柳生街道 正面に山茶花の赤い塊が見えた



『どんなに小さなことでもいい、なにかしら「あっ」と感じる気持ち。その「あっ」が種になって
歌は生まれてくる』

写真も同じだと思う。「奈良」という大きなテーマの中で、(モチーフとして)社寺、史跡、野山を
巡り歩いていて、行き過ぎた間際、なにかの残像が心を刺激する時がある。


 斑鳩の林内の木.jpg
 斑鳩の里 林の中、皺の寄った木が



『短歌を詠むとは、感動の種を言葉に育て上げることなのだ。(中略)自分の心が「あっ」と揺れた
ら、ただ揺れっぱなしにしておかないで、もう一度丁寧に見つめなおす。』


立ち止まり、「あっ」と感じたものの正体を探す。それは光であったり、形であったり、風に揺
れる枝葉だったり。手前の建物と遠くのものの重なりの形であったり、さまざまだ。


 東大寺の大鐘.jpg
 東大寺の大鐘 石段と鐘楼と背後の樹木のバランスがいい



『「あっ」と心が揺れた。何かに感じることができた。ではそれをどう言葉にしてゆくか、が次の
問題となる。心の揺れた場面から具体的に言葉を拾ったり、自分の思いを表す言葉を探したりしな
がら、なんとか三十一文字にしてみる・・・。』


 法隆寺西築地.jpg
 斑鳩の山 法隆寺の西築地に行き当たる 


何が自分の心を刺激したのだろう。「あっ」を感じたとき、その何かを確認する作業から、自分の
写真作法
は始まる。この大きな景色からどこを切り出すか、ワイドにするか望遠を使うか、絞値を
いくつにするか、前ピンにするか、後ピンにするか、見つけた「あっ」と対面しながら組み立て
して行く。
 

 二月堂大香炉を支える邪鬼たち.jpg
 二月堂の大香炉を支える邪鬼 見落としていた

 


『「実際の場面にはあった優しい気分」にこだわってみるか、あるいは多少強調されても核心部分
だけでいくかは、迷われるところ。前者のほうが広がりが出る場合もあるし、後者の方がすっきり
する場合もある。逆に前者には焦点がぼやけるおそれがあるし、後者には一人よがりになるおそれ
がある。』


 磐之媛陵の堀に映った青空.jpg
 皇后陵の堀に抜けるような青空が映っていた


短歌を詠む作業は、ほんとうに写真作法の過程と変わらないと思える。

『「あっ」と思った、その結果だけを歌にしたのでは、読んでいる人には何がなんだかよくわから
ない。「あっ」と思わせてくれた何かを、三十一文字にとりこみつつ、気持ちを表してゆくことが
大切なのだ、と思う。』『気持ちと事柄とのブレンド――――この配合によって、短歌の味わいは、
ずいぶん変わってくる。気持ちストレートの迫力と、事柄ストレートの説得力とを合わせた、オリ
ジナルブレンド。その最も香り高いブレンドを目指して、あーでもないこーでもないと言葉を配合
してゆくのが、短歌を作るということなのだろう。』


 猿沢の池に浮かぶ石碑.jpg
 雨の猿沢の池 こんなところに石碑があった


「あっ」と感じさせたものはアレだ。じゃアレを引き立てているのは何だろう。あれの置かれてい
る状況を表すものは何だろう。前景にこの花を置いて、空を少しだけ残して、アレの大きさはどれ
くらいにするか、と景色をブレンドして行く。写真を作る、つまり構図を決める作業と、短歌を作
るということは、具体的に良く似ている。


 唐招提寺金堂釘隠し.jpg
 唐招提寺金堂の釘隠 スバラシイ



この本「短歌をよむ」は、写真を撮るという作図作業を高めてゆく上で、実にわかりやすいテキ
ストに代わる。「題詠み」「推敲」「連作」の節にも、多くのサジェスチョンがある。

俵万智のこの本を読んでいるうちに、明日、もう一度東大寺へ行って見ようと思った。今持ってい
るイメージ、過去に写真で捉えたイメージは忘れて、目と心を開いて「あっ」を感じに行こうと
思った。

今日の日記は、「あっ」を感じた時に撮った写真で占める。いや閉める。掛詞。結構学習できた。

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2009年10月27日

骨董店のアフロな仏様 

不空院の帰り道は、福智院に出る路を選んだ。、シュメイギク(秋明菊)が見ごろのはず。


 道具屋河瀬店構.jpg



道具屋河瀬」が開いていた。飾り棚の骨董を、覗き込んでいたら、ご主人が声をかけてくれた。
道具屋河瀬のご主人河瀬洋三氏、御年82才。さすが古都奈良の骨董店ご主人という風格を具えた
上品な紳士です。
ほんとうに気さくな方で、「地蔵菩薩像」を飾り棚から取り出して見せてくれた。


 地蔵菩薩像.jpg 



私が、名古屋から来ましたと言うと、なんと、河瀬氏は「名鉄百貨店で20年間お店を出していた
と言はれる。名古屋から奈良市へは、JR関西線で直接行けるので、昔は、車社会の現在よりも、
両市の経済関係は強かったと思う。それにしても、何か親近感を抱いてしまう。


 ご神体.jpg



ご主人が「神様」と云われる男神像は、平安貴族の衣冠束帯を着けた一木造りの座像。かつては
お寺の鎮守社にまつられていたものが、流出したのだろう。寺院の仏像と比べ、素朴な造りだが、
霊気漂う森厳さを感じさせる。
手にしていた笏、「先の消えてしまっているのが惜しい」と言わ
れる。
※ 笏先端の形が、方かあるいは円かの違いで、身分が判る。

 
 アフロ仏.jpg



もうひとつ見せていただいたのが、髪の毛(螺髪=らほつ)が伸びてしまったお釈迦様像。
五劫思惟阿弥陀仏」といい、四十八の大願を成就する(人々を救うために)何百億年というと
てつもなく長い時間考え込んでいたためこんなにも髪の毛が伸びてしまった、ということらしい。

姿もユニークだが、無限の時間、坐禅・思惟を続けるという考え方もユニークだなぁー。
※ 五劫思惟阿弥陀仏 http://www.todaiji.or.jp/index/haikan2001/hatiman/amida.htm


道具屋河瀬のご主人河瀬老は、いちげんの客とも言えない旅行者に対して大変親切な方のよう
だ。Webで検索すると、老に対する感謝の言葉で溢れている。又、骨董の目利きとして、
青柳恵介氏の本にも紹介されている著名人のようだ。
これからも、奈良の「良心」として、変わらずに、お元気に過ごされることを、心から祈りま
す。
※ 道具屋河瀬 http://www14.ocn.ne.jp/~tyagayu/douguya.html


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2009年08月19日

図鑑 奈良の古寺・古社の神木

奈良の古寺・古社はその歴史が長いだけあって境内の樹木には巨樹、古木が多い。
もっとも藤原・平城京時代の大寺建築ラッシュで奈良盆地周辺の大木は建築材として
ほぼ伐採されつくした。そのため樹齢1300年を超える樹木は限られている。しかし、京都に
遷都されたことが幸いし、その後に育った杉、檜などは他の都市部と比較して巨木を見る
ことができる。

想像を絶する年月をいき続けた巨樹・古木を見るとその生命力に圧倒される。
宗教心なくしてもそのものに対し畏怖し感動する気持ちが湧いてくる。
古代の人々が木とそれを育んだ山々を神聖視することに共感する一瞬だ。



神野寺の天狗杉(こうのじのてんぐすぎ)

神野寺・山添村.jpg

枝に天狗が留まるという天狗杉。「これが杉の木?」  四方八方太く力強い枝を
伸ばしたその形を見たとき、これならば天狗も留まれるなと思ってしまった。
この木を見たのが、「神木」に対する興味を持った始まりだったと思う。 
神野寺は大和高原の中央に位置し四囲を山に囲まれ、まさに山岳信仰の只中にあった
のだろう。


元興寺の神木

元興寺・奈良市.jpg

元興寺にも注連縄を張られた神木がある。 一般的に神木は常緑性の松、杉や檜(ひのき)が
多いが、他の樹木と形態が際立って目立つ木を神木とすることも多い。
この木は皴(シワ)のよったような波打つ独特な木肌をしている。そこに特別なものを感じ、
神聖な木とし崇拝されているのであろう。


春日大社の大杉と楠

春日大社御神木・奈良市.jpg 春日大社・奈良市.jpg

神拝所の後ろにある大杉。鷹が両翼を広げ今にも飛び立とうとするその姿にはやはり
特異なものを感じる。
春日大社の境内にはその他にも多数の神木がある。ここではいたる所から神は降りて来るのだ。
もっともそれだけ社の数も多く境内だけでもその数46もあるそうだ。



奈良・豆彦神社の巨大な楠

豆比古神社・奈良市.jpg

この楠はほんとうにデカイ。根元から注連縄の高さまで2m以上ある。
樹高30m、幹回り8m。 神社の裏手にあり通りからは見えないので知らずに行きすぎて
しまう。
近くに花の寺として知られた般若寺があり多くの観光客が訪れるが、この神社はいつも
ひっそりとして、人影も無い。



大兵主神社の大杉

大兵頭神社・桜井市.jpg

美しく立派な杉の木。
天辺まで枝打ちされ、空に向かってスクッと立っている。うかつにも子供の頃に見た
電信柱を思い出してしまった。 神社は地味だが、この神木はほんとうに美しい。 



龍王山・田町竜王社祠の奇怪なご神木

龍王山・天理市.jpg

桜井市と天理市の市境にある龍王山頂(585.7m)にある小さな社のご神木。
雑木林の中にまるで人の足が逆さまに突き出たような異様な感じに驚かされる。
この祠は竜王山城(〜1579年)の水源地(水の手)であったところに祀られている。
今も尚、祠の足元からふつふつと水が湧き出ている。

 

高鴨神社のご神木は杉か檜か

高鴨神社・御所市.jpg


専門家は樹皮を見ただけで杉と檜の違いがわかるそうだが、うかつにも私は全く分から
なかった。 高鴨神社のご神木は杉とも檜とも解説書に書かれていて、この写真では断定
できない。
今ならばすぐに判別できるのだが。
※杉の葉は先端がトゲトゲとしていてまさに針葉樹という印象だ。


一言主神社の乳銀杏(ちちいちょう)

一言主神社・御所市.jpg

特異な形をした銀杏の古木。注連縄あたりに見える白い気根(きこん)が女性の乳房に似て
いるので妊婦さんの信仰の対象になっている、とある。
この神社はいつも参拝客の絶えることのない本当に人気のある神社だ。葛城地区の信仰のメッカと言っても良いのだろう。


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2009年08月15日

夏の奈良 古寺を彩る百日紅

夏の奈良 古寺を彩る百日紅


s-P1150883.jpg

元禄の歌人 炭太祇(たんたいぎ)の俳句に、
さるすべり寺中おほかた見えにけり
という一句がある。
江戸の人炭太祇は、他界するまで晩年の10年を京都市島原に住み付いたとある。
島原は京都市の中心部。どちらに向かっても寺院・神社に行き当たる。
そういう環境にあって、寺の多さと必ず目にする「さるすべり」の花を、やれやれと
ばかりに詠んだのだろうか。


奈良の寺でも、さるすべりをよく目にする。
さるすべりは、日当たりと水はけの良い場所を好む。
寺の境内はさるすべりが育つ環境としてうってつけなのだ。
それに加えて、どちらかと言うと緑濃い陰鬱な印象をよく和らげてくれる。
「さるすべり 寺にかんざし 化粧かな」 
一句できた ! 

東大寺講堂跡の百日紅
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さるすべりの落花を食べる鹿
鹿はさるすべりの花びらが大好物だ。さるすべりは花びらが「散る」というよりも
2〜3cmくらいのかたまりが風に煽られて「ぽと〜り」と木の周りに落下する。
だからハンバーガーかカスタネットのような鹿の口でも食べやすいのだろう。



散れば咲き散れば咲きして百日紅」 加賀千代女の句。
百日紅の花期は長い。早い木では七月中旬から咲き始め、蕾が次からつぎと上がってきて
咲き続ける。一本の木の花期は一ヶ月半程度と思うが、時期をずらしながら、他の木が
つぎ次と十月頃まで咲き続く。まさに百日紅なのだ。


鴟尾と百日紅
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大仏殿鴟尾と紅百日紅
二月堂に向かう東大寺大仏殿東南角の道端に、紅い百日紅(さるすべり)がある。
大仏殿大屋根の瓦色と金色の鴟尾(しび)そして百日紅の調和した構図が大好きだ。 
東大寺講堂跡。春は八重桜、秋は紅葉と色かたちを変えて展開する。



海龍王寺参道
s-P1160107.jpg

 

海龍王寺参道の百日紅
春の雪柳でよく知られた海龍王寺だが、夏は百日紅が参詣におとづれる人を迎えてくれる。
奈良土塀と深緑の中にひときわ鮮やかな百日紅が心に浸入る。




当麻寺東塔と百日紅の花
s-P1150907.jpg 


当麻寺東塔と百日紅
当麻寺近くにある石光寺の百日紅も有名だが、当麻寺の三重塔と百日紅の調和は絵になる。

奈良には他にも石光寺、金剛寺、大安寺、薬師寺、聖林寺、法華寺、元興寺とまだまだ
百日紅で知られた寺は多い。 改めて復唱。

さるすべり寺中おほかた見えにけり


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2009年07月11日

ロマネスクな奈良監獄

ロマネスクな奈良監獄

奈良少年刑務所前景.jpg

般若寺のごく近くに奈良少年刑務所があることは知っていたが、わざわざ訪ねる
理由も無くこれまで素通りしていた。
今日はじめて見たその赤レンガ造りの瀟洒な建物はとても通り過ぎるには行かない力強い印象を
与えるものだった。

正門越しに見た事務棟.jpg  刑務所正門.jpg

明治41年に開設されたロマネスク調建築様式のこの監獄は古都奈良の景観に違和感を差し挟む
ものではなく、すでに奈良の風土にじゅうぶん馴染んでいる。

設計者の山下啓次郎氏は千葉、長崎、金沢、鹿児島、奈良にある五大監獄の設計者として知られている。
日本に現存するローマ風建築物ロマネスク様式の建物は数少ないものの今も大阪や東京に見る
ことができる。 
他に山下氏の設計した建物として旧名古屋地方裁判所が完全な姿で残されている。

氏が設計した他の監獄では金沢監獄の一部が愛知県「明治村」に移築されている。
千葉監獄の正門以外他の建造物は取り壊され現存しない。
文明開化を匂わせる貴重な建物に係わらず、ためらいも無く取り壊されるのは、監獄というマイナス
イメージに起因するのだろう。
尤も、山下氏は刑の執行場所としてそれまでの監獄を、更生の場としてチェンジすることをコンセプト
として、これまでに無い明るい、まるでイベントの館のような建物にしたのだ。


ところで、長崎監獄が撤去されたのは2007年のことという。
長崎県諫早市はとても貴重な建造物を瓦礫にしてしまったのだ。
文化に対する無知のなせる業か、許容できない監獄の歴史に起因するものなのか、今となっては
思案の意義も無い。
かつての奈良市が歴史的建造物に無関心だったことを後悔したように、諫早市がそうらなければ
良いのだが。
※長崎監獄については下記のブログURLに詳しい。
http://all-a.net/a_map/jp_nagasaki/na_prison.html

奈良を訪れる観光客の多くが宗教・仏教とのかかわりも無く寺社・仏像を観光するように、
監獄も歴史的・美術的建造物としてみれば、よろしいのではないのか。

明治政府は廃仏毀釈の掛け声とともに古都奈良の古寺の多くを取り壊した。
現存する興福寺すら県庁や裁判所、奈良ホテルの敷地として浅はかにも破壊し接収した歴史を持つ。

奈良監獄/奈良少年刑務所の建物が役目を終えても時の役人が後世長く保存する道を選ぶことを
祈念する。
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2009年05月06日

せんと君の裏・表

せんと君の後ろ姿

奈良 春日大社でせんと君のブロンズ像を発見。
募金箱の上に置かれていました。
早速写真を撮らせていただきました。

表(前)からの絵や写真はよく見かけるのですが、後ろ姿は見たことが
無いので、失礼ながら後ろからも一枚いただきました。

ところでこのブロンズ像、インターネットで見たところ、せんと君
ではなく「平城の童子」という名称でしたね。
お兄さんとのことです。

http://www.uwamuki.com/j/newsJ.html.data/1.1jan/new_bronze/heijo/heijo.html

せんと君のブロンズ像は身長134oですが、童子の方は260oあり、
お値段も2倍の50万円。けっこうなお値段です。
作者はもちろん藪内佐斗司氏ですから当然でしょう。
誰でもが気軽に買い求めることの出来る代物ではありません。

せんと君・裏.jpg せんと君・表.jpg






posted by ハマー at 23:34| Comment(0) | 奈良のこといろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

ウォーナー オジサンの評価 京都と奈良

奈良法隆寺の西側境内外にウォーナー塔がある。
知る人ぞ知る奈良、京都の文化財をアメリカ軍の爆撃から守った
と言われているラングランド・ウォーナー博士の功績をたたえた
記念碑。


私がウォーナー博士の名前を知ったのはつい最近安部文殊院を
訪ずれた時の事。
説明文を読んでいたく感心したしだいです。

その後、法隆寺から法輪寺に向かう坂道の途中で、この塔のある
ことに初めて気づいた。 何せ目立たないのだ。

s-P1150221法隆寺ウォーナー塔.jpg
法隆寺ウオーナー塔


ウォーナー博士を称える記念碑は他に、鎌倉、会津の勝常寺にも
ある。
しかし、京都には無いみたいだ。 あるとしても知られていない
のかも知れない。

ある書物で読んだが、長く日本の政治の中心であった京都に住む
人々は外交通で、諸事について客観的、冷静に分析・判断する
習慣を持ち合わせているらしい。
京都・奈良を空爆から外したという情報は当時の占領政策の一つ
だったという説があり、京都の人々はこの情報に胡散臭さを、持
ち前の鼻のよさで感じ取っていたのだろうか。

ウォーナー博士を称える動きは戦後まもなく日本中に広がりを見
せ、実は私も小学校で教えられた。ただし博士の名前には記憶は
無い。

京都に、何故ウォーナー記念碑が無いのか。いやあるのか。
知りたいところだ。
いずれにしろ何ども何ども戦火に焼かれそのつど京都という街を
復興させた京都人にとって、ウォーナー何するものという醒めた
感覚と、プライドがあるのだろう。

その点仏都奈良の人々は他人の気持ちや思いやりに敏感でそれを
素直に受け入れる寛容さ、人間らしさがあるのだろう。

法隆寺境内の外に忘れられたように建っているウォーナー碑。
かつては境内にあったという。
何故囲いの外に出したのだろう。

s-P1100341阿部文殊院ウォーナー塔.jpg
 阿部文殊院ウォーナー塔

posted by ハマー at 12:43| Comment(0) | 奈良のこといろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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