2014年10月05日

吉野山黒門と銅鳥居

 初秋の吉野山、通りを行き交う人の姿もない。朝早いこともあってかおおかたの店は表戸を閉ざしたままだった。駐車場からここまで歩いて来たが1q弱の山道でだれに出会うことなく黒門に着いてしまった。
 門の脇に「吉野一山への総門」との説明書きがある。かつて空海も西行も義経も秀吉も吉野を目指した全ての人がこの道を通り過ぎたかと想像すると、不思議な気持ちになる。それにしてもこの黒い門、簡単に通り過ぎることのできない、そんな気配を漂わせている。 
 門の形は高麗門という近世以降(1590年代〜)にできた様式で、今でも城や寺院などでよく見る。特に珍しいものではない。するとこの無視できない雰囲気は黒い色のせいか。いや、それよりも何故ここにこんな門があるのかということの方が重要なことかもしれない。

 s-P9210559吉野山黒門.jpg

 街道を跨いで立つ門。以前、箱根や碓氷峠の関所跡で同じような門を見たことがある。そうだこの黒門、ことによると関所の門だったのかもしれない。門番たちがここで通行手形を改めたり、入山者を誰何したり、或は通行税を徴収した。
 私たちはその時代に生きていたわけではないが、歴史教育やTVや映画、漫画や小説などを通して見て知った江戸時代の制度や文化をまるで目撃したことみたいに記憶している。だから黒く色づけされた高麗門を見た途端に記憶の再生スイッチがオンになり、あたかも江戸時代にタイムスリップしたような気分に陥る。初めて見たのに、黒門の前に立った時、なんだか身構えてしまったのは、そういう仕組みなのだ。

 s-P9260763関屋桜.jpg

※追記  黒門を入ってすぐの道端に「関屋桜跡」と墨書された石碑があった。昭和初年頃まで、老桜があった。大阪平野の豪商末吉勘兵衛(1526〜1607)が植えた桜といわれる。ここに関所があったことから付けられた名称である。またこのあたりの坂道を「関屋坂」というそうだ。

 s-P9260769銅鳥居.jpg

 黒門から金峯山寺蔵王堂へ向かう坂の途中に、大きな鳥居がかかっている。「金峯山寺銅(からの)鳥居」という名称で、鳥居には珍しい銅製である。後で知ったことだが、初めて吉野山の修業に参加する行者は、鳥居に手を触れて『吉野なる銅(かね)の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞ嬉しき』と三度唱えるのが慣わしという。土産物屋に囲まれて立つブロンズの鳥居はオープンセットのようなちょっと大げさな感じがした。軽く見た訳ではないが、つい十五段の階段を登るのも億劫で鳥居の脇の車道を通り抜けて来てしまった。自分もあそこで修験者のようにやりたかったのに。残念ざんねん。

 





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posted by ハマー at 15:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 吉野山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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