2012年12月24日

冬の奈良 キュートな野の仏

冬の奈良の山里は今、木々はもうすっかり葉を落とし、足元を覆い隠していた草葉は枯れ伏せ随分明るく見通しがよくなっている。大嫌いな蛇や、蜘蛛や大小の虫やおぞましいヒルを気にすることなく野山に分け入り歩きまわることができる。

 s-PC203550里山冬の朝.jpg

冬の野山の魅力は枯れ色に変わった草木の景色にあると思っている。枯葉の降り積もった山道はとても柔らかで、ほんのりと冬の匂いを感じることもできる。葉が落ち遮るものがなくなったせいだろうか遠い所にいるだろう人の話し声が随分早くから聞こえてくる。でもその姿はなかなか見えてこないのだ。

 s-PC193455矢田寺への道.jpg


野の仏 勢至菩薩立像
これまで数えきれないほど様々な野仏を見てきたが、こんなにキュートな石仏に出会うのは初めてだと思う。石仏というよりも人形のようだ。驚いたことにこの野仏、なんと私に向かって手を合わせ祈っている、ように見える。そもそも仏像は、人がその像に向かって祈りを捧げる対象であったはずなのに、どう向き合ったら良いのか戸惑ってしまう。

 s-PC183397勢至菩薩石像.jpg

この石仏、゛聖観音菩薩 ゛あるいは゛勢至菩薩゛と思う。宝冠に水瓶のようなものを辛うじて認識できるし、合掌する姿は勢至菩薩のものであろう。身の丈およそ一尺(30p)程度の小さなもので、これまで蒐集家に誘拐されることもなく骨董商に身売りされることもなくよくも無事過ごされて来たものだと少し驚かされる。春から秋の間は覆い茂る草葉に身を隠され気づかなかったと思うのだが、冬の時季だからこうして人の目につくようになったのであろう。

奈良県下で写真を撮るようになってからというもの、街中はもとより野山でもよく見かける石仏を景色の中にとらえてきたが、偶像崇拝のような行為に対してどこかに反発する気持ちがあって、野仏に限らずこれまで自分は仏像を前にして本心から手を合わせ、何かを祈り願ったことはない。だからと言って人が仏像に向かう心を否定するつもりは毛頭ない。

だが今回この野仏を前にしたとき何の躊躇いもなく『私のような者に手を合わせていただき恐縮です。どうかあなた様も末永くお元気でいてください』と知らずしらず感謝の言葉を心の内に唱えていた。勢至菩薩という名の仏像に対してではない、その合掌の姿が自分の心を自然に吐露させたのだと思う。
キュートな勢至菩薩石仏、この写真を小さな額に納め念持仏として祀ってみようかとも思っている。
posted by ハマー at 17:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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