2012年11月29日

奈良葛城「風の森」について

金剛山の東の麓に風の神を祀る神社がある。神社といっても鎮守の森の中に一対の石灯籠と祠があるだけの簡素なものである。祀り神はシナツヒコ(志那都比古)。
シナツヒコは日本神話で風の神とされており、この風の神を祀る杜(もり)がいつの頃か風の杜と呼ばれるようになり、それが「風の森」と転化したものと考えられる。

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 風の森神社の祠と風化激しい石灯籠

風の森神社の石灯籠を見て驚かされた。この凝灰岩(?)でできた石灯籠の風化のすさまじさはどうだろう。金剛山から吹き付ける風雨に晒されて石の表はもうボロボロである。確証はないが平安時代以前に造られたのではないかと思いたくなる。
石灯籠というより石灯籠を模した石造物としか見えない。確かに石灯籠の形はしてはいるが肝心の火袋の部分のどこにも火口が無いのだ。これでは灯篭の役目を果たせない。しかも灯篭の各パーツをセメントでつなぎ合わせかろうじて原型を留めているという感じである。哀れというか侘しいといか・・・ほんとうに灯篭なのか迷う。

御所市教育委員会が設置した案内板には「風の森神社」を社号としているようだが、その名称、起源など由緒についての説明はない。近くの高鴨神社と一対と云う説もあるが祀り神が全く異なるし、末社でもない。正名は志那都比古神社。

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風の森神社は観音寺の裏手の茂みに隠れている 

伊勢神宮に風の神を祀った「風神社(ふうじんのやしろ)」の記録(804年)が残る。このことから平安時代にはすでに風の神に対する信仰があったことが知れる。また神話ではあるが崇神天皇の時代(紀元前97−29年)に龍田山にアメノミハシラノミコト(天御柱命)を祀ったといういいつたえ(延喜式)がある。シナツヒコの別名であり、つまり風の森の祀り神シナツヒコの分身を龍田山に遷座した、移し祀ったということであろう。

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 風の森から見る金剛の山並

古来、日本人は、水の起源であり〈生命の源〉と考えた山岳に対して人知を超えた畏敬の念を抱き、神聖な場所として崇めてきた歴史がある。
弥生時代に稲作とともに葛城の地に渡来した風の神(ヨンドン「(霊登))信仰が、この地で育まれた山岳信仰と結び付き、金剛山の麓に拡がる御所市鴨神の森を神籬(ひもろぎ)としたということであろう。勝手であるが「風の森」が風の神シナツヒコ降臨の地として考えても差し支えあるまい。

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 高鴨神社付近から風の森を見る

風の森神社のすぐ東を国道24号線が通るが、この森の辺りの地点を風の森峠という。「風の森」は奈良の地名では無いものの、峠の名称として今に残った。
この道古くは高野街道とも言われ京都、奈良方面から高野山へ向かう参詣道として用いられた歴史がある。高野山に向かう旅人はこの風の森神社に立ち寄り旅の安全を祈ったことであろう。現在の24号線は昭和の時代につけられた新たな道だが、風の森神社のすぐ西を通る小道が当時の高野街道であっただろうと考えられている。風の森峠を5~6q南に下れば吉野川に行き着く。

s-PB223153高野街道・鳥井戸.jpg s-PB223173鳥井戸・高野街道.jpg
 高野街道 風の森峠近くの鳥井戸の家並

「風の森」という名称に魅かれこの地に何度も足を運んだ。風の森の正体が何であるか今ではおおよそのところを理解できたが、逆に、風の神を祀る由緒あるこの神社が何故ここまで歴史的に埋没し忘れ去られてしまったのかということに興味をそそられている。

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 すっかり黄昏てしまった風の森あたりの景色
posted by ハマー at 16:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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