2011年07月03日

暗越奈良街道の棚田 生駒山麓大門集落

生駒山を通る今の暗越(くらごえ)奈良街道(国道308)は峠までほぼ真直ぐの道であるが、旧くは鬼
取、大門の集落をとおり壱分に抜ける尾根路が利用されていた。現在は車がすれ違える程度に拡幅さ
れた道に古道の面影は無い。旧い写真を見ると、巾半間程度の狭い道で、現在の暗越街道よりも細い
道だったことが分かる。

 s-P7025904大福寺からの眺望.jpg
 大福寺からの眺望
 道路の拡張で石垣はコンクリート製の壁に


万葉集に「妹に逢わずあらば すべなみ岩根ふむ 生駒の山を越えてぞ吾が来る」という恋歌があ
る。「愛しい女に逢わないでいると、どうにもしようがないので、険しい岩を踏んで生駒山を越え
て、私はやってくる」ということだが、古代の人々が岩の露出した坂道を奈良(平城京)から大阪(難
波)へ行き来していたことがわかる。

 s-P7025844大黒石.jpg s-P7025838大門十三磨崖仏.jpg
 大門大黒石                     十三仏磨崖仏「三体地蔵」

大福寺の東に大門の中心集落があり、そこに大黒(おおぐろ)石と呼ばれる石がある。嘗て山より崩落
した大石と思えるが、この石に磨崖仏が刻まれており、天正十二年(1584)の銘がある。
中央列に虚空蔵、大日、釈迦の三尊が彫まれ種子(しゅじ)十仏がその両側にあるという特殊な十三仏
磨崖仏で、「三体地蔵」などと土地の人は呼び信仰を集めていたようだ。
風化のため三尊それぞれは見分けづらい。種子はなんとか判読できるが梵字(ぼんじ)の意味は知ら
ない。貴重な歴史的遺産と思うが、この荒れた様子から地元の人はさほど関心がないように感じる。
 
 s-P7025830歯痛地蔵.jpg 
 旧暗越奈良街道路傍の歯痛地蔵 

大福寺近くの道沿いに「歯痛地蔵」が祀られている。舟形光背を負う地蔵菩薩だが、意外に地元の人
たちはこの地蔵の名前を知らない。先の尖った光背が「歯」を思わせる。小さな石仏で、通過するウ
ォーカーも知らぬふりである。歯痛地蔵は二本の椿の古木の根元に安置されている。椿の花の咲く頃
にはまた違う印象だろう。できたらもういちど訪れたい。

街道を行く人々の安全を祈願して立つ三体地蔵や歯痛地蔵は旧暗越奈良街道の数少ない名残である。

 s-P7025891大門集落棚田.jpg
 梅雨の時期棚田は柔らかな緑に覆われる

暗越街道沿いの山頂まで続く棚田は生駒八景にも選ばれた美観。もともとこの斜面は大小の岩に覆わ
れた荒地で葛と藤がはびこる原野であった。今でも田畑から森に移る辺りは葛や藤に覆われ先に進む
ことを拒む。かつての里山も手が入れられないまま今は原生林化している。

 s-P7025886棚田の石垣.jpg 
 急峻な山の頂まで続く棚田の石垣

大門の石垣造りの棚田は、岩に覆われた急傾斜の荒地を段々畑に変えてきた何世紀にも渡る農民の苦
難と成果の歴史を秘めている。石垣は高いところでは五メートルに及ぶものもあり、しかも垂直にそ
そり立つ。切り立った石垣端の畦を歩くと思わず足がすくむ高さである。

 s-P7025913水路の石橋.jpg s-P7025890野づら石積みの石垣.jpg  
 水路に架かる橋も一枚岩       石垣や石橋も伊行末の一族の手による

地圧と水圧に崩れることなく、また水を湛えた水田をのせても漏水することもなく聳える堅固な石垣
を築きあげた古人の技術力と底力にただただ敬服させられる。急峻な荒れた山裾を一段、また一段と
克服して棚田を築きあげ拡げていった先人たちの米造りに対するすざましい執念に感動させられる。

この力強く美しい石垣を持つ棚田に苗を育て稲が実る風景の続くことを願わないではいられない。

s-P7025872ヒロハクサフジ.jpg
 水路の土手に咲くコマツナギ
 水田では雑草として早々と刈られてしまう


<参考図書>
生駒市誌 (通史・地誌編)X
posted by ハマー at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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