漢方薬の店を開業したのは明治以後のことであるが、家系は極めて旧く、藤原家を祖先に持ち、木曽
(源)義仲の末裔として白土家、今の菊岡家はある。現当主で二十四代を数える極めつけの旧家であ
る。
永禄年間(安土桃山時代1568~1602)、当主菊岡宗政は、人を殺傷することが仕事である武人には向か
なかったのであろう、仏門に入り、禅照庵という一寺を建立し、多くの病人を救ったとある。もとも
と医学に造詣の深い家系であったが、戦場で目にした医僧(従軍医)という役割のなかに自分の生きる
道を見出したのかもしれない。

総本家菊岡は、ならまちで最も繁華な場所にあり、奈良町の「顔」的な建物である。なんとはなく店
の中を覗いたら、木彫りの大黒様が目についた。
近頃ちょっと大黒像に関心があって、そのため目に入ったと思う。我が家には、父親の実家(富山)が
米屋であるせいか、家の中に大小数体の大黒像が残されている。処分するつもりで整理していたら、
いろいろなタイプがありその中に美術的に優れたものもあることがわかった。

総本家菊岡の店の真ん中と言って良い場所にその木造大黒天は置かれている。榊が添えられているの
で明らかに神様として祀っていることが知れる。
一木彫で背丈60cmくらい、二頭身のコミカルな可愛いい像である。かなり剥落しているが鮮やかな彩
色が施されていたことがわかる。我が家にある、米俵を踏んだ金銅製の大黒様よりずっと魅力的に見
える。
大黒天はその姿かたちから見てあたりまえに民芸品のようなもの思っていたが、なんと異国インドの
ヒンドゥー教の神の化身マハーカーラであることを最近知った。マハーは「大」、カーラは「黒」を
意味するので「大黒天」と名づけられた。破壊と死を司る神様である。「天」は仏像の種類をあらわ
し、バラモン教やヒンドゥー教の神々で、仏教に取り入れられ仏法を守護する神として変化したもの
である。

その神様がなぜか仏教に乗って中国へ伝来する過程で破壊や死と同時に人間の長寿をもつかさどる医
薬と死者の神様と言う側面も加えられるようになる。そしてだんだん、厨房、福徳の神様という事に
なり、最後には天台宗の開祖最澄によって「台所、かまどの神様」として日本に伝えられる。比叡山
を中心とした天台宗寺院では台所に大黒天が守護神として祀られるようになった。
日本で大黒像に福徳相(ニコニコ顔)が多いのは、中国においてマハーカーラの3つの性格(戦闘・財
福・冥府)のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられたことにより、福の神として崇め
られているからである。

室町時代永正年間(1504~1520)に、後柏原天皇から菊岡の姓と
裏菊の紋を賜り、以後白土を今に続く菊岡と改めた。
奈良・漢方薬の総本家菊岡の大黒様の由来を聞き忘れたが、「医薬」の神様として祀られていること
は容易に想像できる。ことによると「戦闘」の神様であることも心のどこかにおいて、合掌している
のかもしれない。
参照URL
菊岡漢方薬
http://www.kikuoka.com/
ならまち
http://narashikanko.jp/j/naramachi/
Wikipedia 大黒天
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9
七福神(大黒天)の豆知識
http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/daikoku.html
戦陣医療
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