2010年04月06日

奈良「たかばたけ茶論」と洋画家中村一雄氏のこと

奈良高畑町にある「たかばたけ茶論」の前を車で通過した時、土塀におおいかぶさるように咲く
赤い椿の花が目についた。
欧風なつくりの土塀と椿樹の組み合わせがとても魅力的だった。


 土塀と椿部分.jpg 


写真を撮っていたら、鉄扉があいて、廃材を積んだ一輪車(猫車)を押したこの館のご主人らしき
男性が出てきた。
「こんにちは。写真撮らせてもらっています。椿、綺麗ですね」、とご挨拶をしたら、
『どうぞ撮って行ってください。・・・・庭の中で撮りますか』と言ってくれたんだ。
なんてラッキー。その男性が画家中村一雄氏だった。


 椿樹と土塀.jpg 


志賀直哉旧宅と道を隔てたすぐ隣にある「たかばたけ茶論」のことは、これまでに何度もその前を
通ったことがあり、気にはなっていた建物だった・・・・


 素焼の屋根瓦に落椿.jpg
 


敷地を囲む和洋折衷の土塀が印象的で、ことに勝手口の波打ったような形状の瓦屋根を見るのは
初めてのことだった。「たかばたけ茶論」の赤土色の土塀に、南欧やスペインの景色を描いた
洋画を連想したことを覚えている。
オープンカフェにしている樹影深い雑木林風の庭園と、その奥の涼しげな洋館は、その日巡った
奈良の寺院とは全く趣を異にしていて、少し抵抗感があり、門をくぐることに躊躇してしまった。
二年前の奈良への夏休み旅行に、新薬師寺を訪れ時の帰り道の思い出。


 志賀直哉旧宅白壁.jpg 


高い木立に覆われた薄くらい庭園に招き入れられた。
椿樹を前にして、『この椿は相当に古い木ですよ』 『どういう風に撮るのですか』とご主人。
「椿の花は下向きに咲くので、いつも内側に回って撮ります。この白い幹の色が好きで・・・・」
と私は答える。
『なるほど。丁度ね、次の作品展に何を描こうか迷っていたところなので、いいヒントになりま
したよ』とご主人。 
ええっ! 職業画家?  そういえばなんとなく文化人の雰囲気を漂わせる容姿風貌、垢抜けた着こな
しスタイル。
『名古屋の高島屋でも個展をやったことがあります』
『この土塀は』と、洋館及び土塀を、国に文化財指定の申請をした意義をお話してくれた。 
 

 たかばた茶論の花椿.jpg


その時まで、この男性の名前も、画家であるということも全く知らずに話していたのだ。
最後に『なかむらかずお、と申します。どうぞお見知りおきを』と自ら名乗られる。 陽のあたる外には鮮やかに、内に回っては静かに頭を垂れる椿花のようなお人柄。

「中村一雄氏、75歳 洋画家 ラテン系奈良人」帰宅後早速インターネットで調べた。
中村氏は、志賀直哉旧宅が取り壊されようとしていたとき、その保存運動に一人立ち上がり、そして
成し遂げた偉大な人物でもある。


 石組と落椿.jpg



ラテン系? 彫りの深い目鼻立ちは、あの映画ゴッドファーザーで観た南欧イタリアの男たちわ連想
させるが。
気さくで礼儀正しく親切な中村一雄氏のファンになってしまった。
是非次回作品展を見たい、と思っている。


 たかばたけ茶論.jpg


カフェ側入り口(勝手口)からではなく、いつもは閉ざされている正門からしかも当主の中村氏に
邸内に招じ入れられてのことは、すばらしい思い出、誰かに自慢したい話になった。
中村氏も『ほんとうに幸運でしたね』と強調、連発されていたことなのです。




※「たかばたけ茶論」
http://takabatake-salon.jp/top.html
HP 「About Salon」のコピー。

昭和の初め、志賀直哉を中心とした白樺派の文人や画家が集い、「高畑サロン」と称しました。私たちは此処に高畑サロンの復活を願い、現代人のゆとりある交流の場にしたいと考えます。高畑族の一員であった足立源一郎画伯が大正八年、南仏プロバンスの田舎屋を模して志賀邸隣に建てた洋館は、その後、洋画家・中村義夫が引き継ぎ、現在、そこに住む
洋画家・中村一雄夫妻が昭和56年11月(1981年)にガーデンを開放しカフェにしたものです。平成12年、その洋館及び土塀が、国の登録有形文化財に指定されています。


posted by ハマー at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良のこといろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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