2010年01月31日

月を写すということ

月の写真を撮るようになったのは「花鳥風月」という言葉を意識するようになってからのこと。
日本人の自然観を表すモノのひとつとしてある「月」だが、自分は何故か懐かしく、引き込まれ
るようなそんな抱擁力というか、安らぎを覚える。それは、月の引力がなせることなのだろうか。


 s-飛火野月覗く.jpg
春日山に灯る十五夜の月 09.12.02 17:16 


松岡正剛氏の著書「花鳥風月の科学」の中にとても興味深い言葉がある。
『私は月は「ほか」そのものであると言いました。それは、かつて古代人が「山」や「風」に感じ
てきた「むこう」(thear)というものと同質です。それなら、月と何かでやっと一対になるという
「間に合う勘定」というものがあるはずなのです。われわれは、そういう”月的な相手”というも
のを探している旅人です。結局、花鳥風月とは「片方」を求めて「境」を感じる世界なのです。』


 s-東大寺松林の三日月.jpg
東大寺西塔跡から見る三日月 09.10.21 17:41 

難しい言葉だが、「片方」とは「自分自身」の中にあると解釈している。例えば「月」を見て何
を思うか、月に何を求めるのかという「思索の旅」の中に答えがあると考えている。


 s-崇神陵濠に映る月影.jpg 
崇神天皇陵の濠に映る月影 09.10.04 18:17

月を撮ることは意外に難しい。「闇」を思ったように撮れないという「技術的」なことや、思い
描く月を見られる機会が少ないという「気象的・天体的」制約がある。
しかし最も難しくさせてい
るのは、「月」の謎深さではないだろうか。花に感じるものとは違う。水に感じることとは違う。
風に感じるものとも違う。その何か違う感じをもう少しはっきりとさせるところに、旅の理由があ
るように思う。その旅が実は「境」なのではないかと。


 s-PB234885若草山から奈良市街地.jpg  s-P1299078法輪寺十三夜の月.jpg
 
若草山から奈良の市街地を見る 09.11.23 17:26
法輪寺十三夜の月 10.01.29 17:53


 


 
posted by ハマー at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良のこといろいろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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