2009年06月02日

葛城あたり 九品寺千体仏

葛城を理解するためには、まず九品寺に行くこと

白洲正子の「かくれ里」葛城のあたりの章に、九品寺の「千体地蔵」のことがでてくる。
わずか十数行にすぎないが「・・・南北朝のものもいくらか交じっているようで、野べの
石地蔵より時代も古く、作も丁寧のように思われる・・・」という件に気を惹かれた。
作りが丁寧とは、どういうことだろう。南北朝といえば、鎌倉時代の後で、1336年〜1392年の頃だ。

さらに、「九品寺に泊まらなくては、葛城はわからないとまでいわれ、そのお言葉に偽りは無かった。」

そうか、葛城を知るには九品寺に行くことなのだ。


霊場 九品寺の千体仏

九品寺(くほんじ)本堂裏山の墓所に至る中腹つづら折の階段を上ったところに、それはあった。
まるでシネマスコープのような横広がりの斜面に、赤いよだれかけを着けた無数の地蔵が居並ぶ。
鬱蒼と茂る樹齢何百年の高木に覆われた肌寒く薄暗い空間、ここは間違いなく霊場だ。

九品寺裏山の千体仏.jpg


よだれかけを着けているのだからお地蔵さまということなのだろうが、よく見ると如来や菩薩と
思われるものもある。
また、一つの石に二体を彫ったものも多く見られる。

さらに石段を上がった樹間に黒いよだれかけを着けた石地蔵がある。
こちらは自然に溶け込んだ野仏の風情だ。
九品寺の境内では石仏や石地蔵といたるところで出くわすのだ。

千体地蔵(2).jpg

千体仏を見守る仏法僧

仏法僧.jpg




千体仏由緒と墓所

謂れによれば、江戸時代の中ごろ九品寺の北にあるキトリ山の竹やぶを開拓したときに多くの
地蔵石仏が出土し、それを安置したという。
また南北朝の戦いに行くものの身代わりに、親族や地元の人たちが奉納したものもあるという。
それにしても1700体以上もの石仏とは! この地の長いながい歴史の重みを感じる。

墓所にて

千体仏からさらに石段を上がると、九品寺檀家の墓所がある。
その一角に、第二次世界大戦、海外の戦場で無くなった人々の墓がある。
多くが昭和17年から20年が没年だ。二十代から三十前半の年齢の男たちだ。一等兵とか伍長とか
中には軍属と記されたものもある。
この土地からわずかな期間に本当に多くの青年が徴用され出征し戦地で命を落としたことの証を
目の当たりにして、悲痛な気持ちにさせられる。

1300年近い歴史を持つ九品寺は、これまでに多くの戦乱、戦争に遭遇し、そこで命を落とした
数え切れない人々の霊をも祀っているのだ。

合掌
寺を巡ること、それは死と遭遇することに他ならない。その先に自分の死があるのだ。
そんなことに思い巡らせる葛城古道、九品寺千体地蔵の巡礼だった。
posted by ハマー at 20:17| Comment(0) | 葛城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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