2014年07月14日

葛城古道 七月の棚田


 久しぶりに九品寺に来た。奈良へ移住した09年の後半、頻繁に葛城の地を訪れたがその後の五年間は(名古屋に戻ったこともあり)数度訪れたきりだった。

 葛城古道の中でも、九品寺と一言主神社の間の標高180mの山裾を南北に走る区間は道すがら奈良盆地南端を眼下に一望できる絶好のポイント。何度見ても飽きることのない情緒あふれる景色がある。
途中、綏靖(すいぜい)天皇高宮岳跡と言われる史跡がある。こんなところに?と思わせる山の斜面の狭小な場所である。

 s-P7018974葛城の道九品寺あたり.jpg 

 地図を見直してみるとこの一帯は、葛城川の支流である鎌田川と水越川にはさまれた扇状地で、高岳宮跡はその扇の要に当たる眺望に優れた小高い場所にある。
扇状地に展開する稲田を一望できるうえに、水浸の恐れのないまた背後を脅かされることのない安全な地形でもある。今は杉林のはずれのこれといった見どころのないしかも視界を木々に阻まれた最も見通しの悪い場所だが、葛城王国を統治するに最適な場所だったのかも知れない、と思える。

 s-P7018923朝の蓮田.jpg

 九品寺周辺の棚田は秋の彼岸花を見に訪れる人の多いよく知られた土地だが、境外の休耕田に咲く蓮の花も見事ですと(ご住職から)聞いたことがある。行ってみたが七月の初旬、花の時季にはまだまだ早すぎた。だけど、柔らかな緑色をした幼い蓮の丸葉と鉛筆で描きなぐったようなフトイ(太藺)の針葉の直線、鏡のように光る水面に落ちる蓮葉の黒い影の対比が見たことの無いデザインを作り出していた。
 枕草子に「はちす葉、よろづの草よりもすぐれてめでたし」という一文があるが、確かに蓮の葉の特異なフォルムと色彩には他の草葉とは異なる際立った優雅さを感じる。最も、盛夏の重なり繁茂するさまにはなにか暑苦しくて「めでたし」とは思ったことはないが、早朝のキラリと輝く水玉を載せた薄緑色のビロードに似た蓮の葉には魅了されるものがある。清少納言譲もいいとこ見ています。

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『余り苗いつまで待つも出番なし』 奈良県出身の俳人津田清子氏(1920.6.25-)の一句

 俳句集を読んでいるとよく自分の撮った写真と一致する情景を思い描かせる句に出会うことがある。その句を読むことにより、自分の感性(視点)が何に根差していたかを教えられる。最初の一枚は無心に撮るが、それ以降つい同じモチーフを意識的に追いかけてしまうことがよくあるが、最初の感動はもうそこにない。この写真は九品寺近くの水田で撮った、二作目だが、説明的写真になってしまった。
 ところで「余り苗」が夏の季語ということを今日初めて知った。 「季語」というものはその言葉を用いた優れた作品、いい句が作られると季語として定着するということを俳人金子兜太氏が言っていたけど、「余り苗」を季語にまでした句はこの津田氏の句に違いない、のでは?。余り苗、「捨て苗」ともいう。

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posted by ハマー at 13:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 葛城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月04日

「茅の輪くぐり」 石上神宮・夏越の祓 2014


 石上神宮の社務所玄関に張られた紫色の神社幕は、この日、特別な祭礼がとり行われることを示している。「十六八重表菊」の白抜きの社紋が目に鮮やかだ。この菊の紋、天皇家以外の使用が禁止された特別な紋章のはずだが。ということは、現天皇家が石上神宮と深い係わりのあることを暗示するということになる、のか。
 
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 玄関の三和土に杉の葉を入れた「こぼし」と曲げわっぱの「手水桶」、柄杓がさりげなく置かれている。これも祭典の日ならではの品々だが、かつてはごく普通に使われていたものに違いない。今では神社など特別な場所でしか目にすることができなくなった和の工芸品としてある。
その奥、上がり框の前に浅沓(あさぐつ)が五足並ぶ。神職専用の履物だが、平安時代に男性貴族が庭歩きなどに使った木靴で、今でいえば高級な「つっかけ」のようなもの。底の部分は木製。上部、足の甲などを包む部分は和紙の張貫(はりぬき)という技法で作られている。見た目より軽い履物のようだ。今日の祭典に臨む五人の神職が使う。

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 6月30日、多くの神社で夏越の祓(なごしのはらえ)と呼ばれる除災行事が行われる。犯した罪や穢れを除き去るための神事である。
 四年前の7月1日偶然に訪れた石上神宮で「茅の輪」という名の不思議なオブジェを初めて見た。イネ科の植物、茅(ちがや)で造られた人が通り抜けできる直径2mくらいの太い草の輪で、この輪の中を8の字に三度くぐり抜けることにより、夏を無事に乗り切れる力を授かるといわれる。
あの日まだ夜も明けきらない薄明りの中で見た茅の輪のシルエットは際立った存在感を発していた。もう一度見たくてずっと気にしていたのだがその後奈良に住んだ二年の間にも「茅の輪くぐり」を見る機会は訪れず、やっとこの夏に実現した。

 s-P6308805神剣入場.jpg

 夏越の祓は、まず神職が捧げ持つ錦織の袋に包まれた神剣「七支刀」の入場から始まる。儀式の始まりを今や遅しと騒然と待っていた数百人の氏子や参拝者たちは、神剣が登場すると一瞬にして静まりかえり、右左に大きく道を開け、深く礼をして宮司・神職が通り過ぎるのを待つ。
その後、宮司による大祓の詞(おおはらえのことば)の奏上の数分の間も頭を上げることなくかしこみ聞き入る。なんとなんと多くのアマチュアカメラマン達までもがファインダーを覗くこともシャッターを切ることもなく首を垂れかしこまっているのだった。驚いたことに儀式に参加しているのだ。

「烈布の儀式」、「人がた(形代)のお祓い」など大祓の祭典が終りいよいよクライマックス「茅の輪くぐり」が始まった。神職が詠みあげる古歌の唱え謌に続けて、参拝者たちの「みなづきのー なごしのはらえーするひとはー 」と一節ごとに唱和する低くくぐもった声が神宮の森を満たし消える。

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 先導神職に続き神剣、宮司、形代(かたしろ)を収めた大櫃を担いだ神職二人の順で茅の輪をくぐり抜ける。その後を背広姿の氏子総代、氏子、一般参拝客が続く。茅の輪を支点として祓所と大鳥居の間およそ百mあまりの距離を三、四百人が列をなしザクザク、ざくざくと進む。皆表情も無く「みなーづきーのー なごーしのーはらーえーするーひとはー ちとーせのーいのーちー のぶーとーいうーなりー」と口々に詠いながら茅の輪を三度くぐり抜け、そして本殿へと歩む。皆ただ無心に歩いているように見える。

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 茅の輪の横の八足(祭壇)に置かれた茅の束は夏越の祓を終えた参拝者たちが持ち帰り、家の門前に飾ったり厄除け用に小さな茅の輪を手作りすると聞いた。今では茅の輪を人が潜り抜けるが、鎌倉時代の頃は六月の晦日の前後に、疫病除けの小さな茅の輪を腰につけたという記録がある。茅の輪を人が潜るようになったのは(いつのことか定かではないが)後世江戸時代以後のことのようだ。

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  四年前の夏、未明の境内で見た「茅の輪」は未知の世界への入り口を思わせるなにか妖しげなものに感じたものだが、実は罪穢れを取り除く不思議のフィルターだった。「夏越の祓」は今どきの言葉で言えば行政主催の防災イベントのようなもので、奈良時代の法律(大宝律令)に定められた宮中行事に起源を持つ。1300年以上前に行われていた行事がなんの疑いもなく今も続いていることに正直驚かされるが、どんなに科学や技術が発達しても自然はそれらをいとも簡単に凌駕して見せる。侮れば自然はいつも人間の想像力を超えた破壊力を見せつける。人間が自然の前に無力であることを承知しているからこそ1300年もの間続けられている。尽きるところは未知の存在、神の力に頼らざるを得ないと諦念している。「茅の輪」はその象徴であるが故に底知れぬ霊力を秘め放ち、言いようのない畏れを自分に感じさせたのであろう。

 
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posted by ハマー at 15:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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