2012年08月31日

草壁皇子の菩提寺 粟原廃寺のある村

以前は小学校だった建物で今は地区の公民館となっている駐車場に車を停めて、標識に従って坂道を上る。粟原(おうはら)廃寺跡は集落の果ての道が山の中に消えしまうところにあった。わずか500m程度の道のりだが随分歩いて来たように感じるのはそこまでずっと上り坂だったからだろう。

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伝承によれば粟原廃寺は、28才の若さで亡くなった草壁皇子(662〜689年)の追福のため(冥福を祈り)飛鳥時代の694年に着工され奈良時代に入った715年に完成した。20年以上の時日を費やして造営された。694年は丁度都が飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都された年にあたる。寺の創建については中臣大嶋の誓願によるとある。大嶋死の前年の事である。順当に考えれば、持統天皇(女帝)が早世した我が子を偲んで建てた寺と言えるが、或いは大嶋の罪滅ぼしだったかも知れない。
残された三重塔の礎石は心礎は直径1.822mほどの巨石で直径82.7p、深さ3.7pの円柱孔がある。このデータから推し量るに塔は法輪寺三重塔に匹敵するほどの規模であり、伽藍の規模も相当なものであったと考えられる。
寺の名前はわかっていない。中臣大嶋も持統天皇も寺の完成を見ることなくこの世を去る。寺はその後水害にあい礎石のみを残して流れ去った、と考えられている。嗚呼、諸行無常。

s-P8202581粟原寺堂塔跡礎石.jpg

奈良の地を巡っているといつも思うのだが、今では過疎の村と言っても良いような辺鄙な土地に、信じられないような歴史が眠っていることを知らされる。その地に立つと突然に千数百年前の時代にタイムスリップさせられる。その時代に降り立ってなにをどう受け止めたらよいのかいつも戸惑う。

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寺の跡地に役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られている。言うまでもないが役行者(役小角 634〜701年)は修験道の開祖と伝えられる飛鳥時代の呪術者である。粟原廃寺のあるこの音羽山は仏教伝来のはるか昔から飛鳥の地に住む人びとに霊山として崇められていた。山の名の「音羽」は天狗の飛行音を表わす。天狗は、元来は中国の物の怪で、聖人は山に住まうという仙人思想とともに日本に伝わった。音羽山に連なる経ケ塚山、熊ケ岳を結ぶ縦走路は修験者の霊場である。天狗は修験者の化身である。1300前、今自分が歩いている粟原のこの道を役行者も歩き登った。

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粟原廃寺が何故羽黒山の北麓粟原の地に建立されたのかはわかっていない。だが、実際にこの地を訪れ粟原廃寺へと川沿いの道を登るにつれ感じたことは、なんと穏やかな心地よいところだろうという思いだった。飛鳥京や藤原京からは10qと離れていない近場ではあるが、秘境と言っても良い四囲を山に囲まれ外界と隔絶された霊山の麓に拡がる桃源郷のような土地である。皇位継承をめぐる骨肉の争いのさなか不慮の死を遂げた草壁皇子の菩提を弔うに相応しい山麓ではないか。

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posted by ハマー at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良市南郊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月29日

俳人 武藤紀子氏 写真附句 八月の奈良

武藤紀子句集(現代俳句文庫――66 フランス堂)より
私自身句作はしないが、いつも言うように俳人(詩人)の視点が、自分が写真撮影に際して見過ごしてきた景色の妙味というか、異なる見方を教えてくれる。武藤氏の作品の多くは一読してイメージ(景色)の湧き出る(了解できる)句が多く自分にはとても馴染み易い。即座にイメージが湧いてこなくても、或いは意味がつかめなくとも言葉=語感の美しさに魅せられる句も少くなくない。風景詩とでも言おうか。

「 稲の花 神の不思議な 足拍子 」

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なにか魅かれるものがあって何度もなんども思い返しては口ずさんで見るのだが、なかなか読み解けなかった。
秋の季語でもある「稲の花」は、品種によって異なるが真夏の七月下旬から八月下旬の頃、六日七日かけて稲穂の上の方から咲き下りる。花と言っても白いおしべが数ミリ飛び出しているだけで、知っていなければ気づかない小さなちいさな地味な花だ。日の出から二時間くらい咲く。

「足拍子」を辞書(大辞泉)で引いてみると「足を踏んでとる拍子。能楽・舞踊・文楽などでは、足の裏全体で床を強く踏んで音を立てる。リズム感や型のきまりの効果を強調するもの」とある。
しかし、考えてみるのだがそれでも「稲の花」と「神の不思議な足拍子」が繋がらない。感覚的にはOKなのだけど、しっくりこない。
偶然とはいえないかも知れないが、稲の花を撮っていた時、突然に大粒の雨が落ちてきた。気が付くと真っ黒な雲が水に墨を流すように西の空からこちらに広がって来ていた。赤い稲妻が走った。
わかった、雷(かみなり)だ。「足拍子」は音そのもの、雷鳴なのだ。

「かみなり」の日本語の語源は、昔、雷は神が鳴らすものと信じられていたため「神鳴り」と呼ばれた為と言われる。また雷の光り「稲妻」は『稲の夫(つま)』という意味で,雷光が稲に当たると稲が妊娠して子を孕む。つまり雷光は稲の夫であると考えられていた。

詩人は「雷光が稲を実らせる」という言い伝えを知っていたのだろう。雷鳴は神の近づく足音、不思議を為す神の足拍子、そして稲妻の予兆。稲の花神の不思議な足拍子を。

「 ことばに 匂いありとせば 早稲の花 」

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残念ながら自分は未だ稲の花の匂いを知らない。判らない。臭覚は五感の中でも個人差が大きい感覚で、また匂い物質に対する感受性にも個人差があり特定の匂いはよく感じるのだけど、ある匂いに対しては感受性が低かったり、あるいは全くなかったりするような場合もよくあるといわれる。逆にある年齢になってこれまで感じなかった匂いを知ることもある。

稲の花の匂いについては、農業経済学者大槻正夫氏(1895−1980)の著書「稲と杉の国」の中の文章で了解したい。『湿度の高い空気の中に遠慮がちにほのかに漂う匂いである。柔らかい甘みを帯びた、そしてどことなく清新な気のこもった郷愁を誘う遠慮がちな匂いである。』どんな匂いなのだろう。

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夏の朝、詩人は緑一面に広がる稲田の中にいた。緑色の田表を照らす朝とはいえ強い陽射しが、夜のうちに降りた稲の花の朝露を温め霧に変えゆっくりゆっくりと大気の中を漂い広がる。そして稲の花が醸し出す命の根源のごとき匂いが詩人の全身を包み込む。

言葉には匂いがあると言う人がいる。たしかに言葉から匂いを連想することは不思議なことではない。しかし、本来言葉に特有の匂いがあるわけではない。また匂い(という言葉)に特有の匂いがあるはずもない。
この一句は「匂いありとせば」と「ことば」を条件句として示しているので、稲の花そのものの匂いと言うよりも、「稲の花の匂いという言葉」が紡ぎだす記憶に結びついてゆくのであろう。
「早稲の花の匂い」は詩人にどんなブィジョン想起させたのだろう。

「 烏瓜 ゆるくわがねて 運び来し 」

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晩秋の奈良の野道を歩いていると道ばたの草むらや、木の枝に絡みついた朱色の卵形の実をよく見かける。つる性の植物で、実が朱く色づく秋になるまではなかなか気付かない植物だ。

この句を読んですぐさま一枚の写真を思いだした。東大寺二月堂で撮った写真。この烏瓜、散歩の途中に刈り持って帰ったのだろう。無造作にわがね、戸口にの柱に飾りつける僧侶の姿が目に浮かぶ。「わがねる」は「綰ねる」と表記する。「細長いものを曲げて輪にすること」で日常的にはあまり使わないと思うが、綺麗な響きを感じる。

他者の詠んだ俳句を読む面白さは、知らない言葉や熟語を知る楽しみ、更に季語を知ることによりその時季ならではの景色を予測できるようになることだ。それにより自分の感覚や感受性を鋭敏にし、意識をも高めることができる。その意識を目の前の景色に投影することによって、目に見える景色の幅と奥行きが広がり深くなる。

「さまざまな花を詠み来てさくらかな」

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「武藤紀子句集」には398の作品が収められている。数えてみたのだがその中で詠んだ花の種類は24あった。意外に少ないことに驚く。当然句集にある以外の武藤氏の句にはもっと多くの花が登場すると思うが、この句集では多くは木花で、草花は「朝顔、菊、昼顔、庭石菖、松虫草、ふじばかま、文字摺花、桔梗、蓮」と意外に少ない。

俳人に限らず自然写真を趣味とする人びとも好んで「花」を撮る。写真を始めた頃自分は「花」を撮ることに抵抗感があって避けて通っていたのだが、いつの間にか求めて撮るようになった。木花では梅、桃、椿、桜、卯の花、蝋梅、石楠花、牡丹、紫陽花、芙蓉、槿、百日紅、稀に薔薇など。草花は、スミレ、タンポポ、蓮華草、杜若、蓮、桔梗、ユリ、ギボウシ、菊、朝顔、向日葵など目についた「さまざまな花」を撮ってきた。それらの花を撮る理由は深く考えたことはないが、綺麗、美しいからという動機もあるが、それ以上に季節や地域性の中での自然の状況を現すのに都合がよいからだと考えている。
そしてそれらの花の中でもやはり「さくら」は別格と思う。

百花繚乱というように春はさまざまな花が咲き競う。足元の花、目線の先にある花、川の向こうに咲く花など季節から溢れ出るように咲く。その花の中でも、桜は冬の終わりの緋寒桜に始まって、染井吉野、山桜、牡丹桜といちい名前は知らないがその種類が多く、早春から晩春まで意外に花の時季が長い。春と言う時間の流れの中にあって草の花、他の木の花が忙しく咲き散ってゆく中で、桜は悠然と咲きつないで行く。

「さまざまな花を詠み来てさくらかな」という気持ち、確かに共感できる。野山で山桜の樹の下に独り来て天を覆うさくら色の花絵傘を仰ぎ見たとき、なにかほっとさせられる。こんな雰囲気持つ花はさくらの他にはない。
posted by ハマー at 08:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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