2012年06月29日

梅雨の室生古道 六月の奈良

室生古道は室生寺から仏隆寺を経て本伊勢街道に合流する宇陀市高井の集落に至る7〜8q
の山の道。古道と言っても今では完全舗装された林道に変わっっているが、かろうじて
仏隆寺から唐戸峠までの1.1qの間には旧道も残り、古道の雰囲気を十分に感じ取ることが
できる。

s-P7021616室生古道仏隆寺寄.jpg
仏隆寺から室生古道に入る

唐戸峠は室生古道の途中にある一番の高所(665m)で最も眺望の良い地点(と思われる)。
この日の午前中は梅雨のさ中の雨降りの天候で、あいにく遠くまでを見通すことはかなわなかったが、
深い谷を隔てた目前に聳える山々に霧のような薄く雲が流れ行、まるでミニ山水画を見るようだった。
天候や時間が変ればきっと、もっとさまざまな景色を撮ることができるに違いない。

 s-P6251440室生古道唐古峠から.jpg
 唐戸峠あたりから見る山谷

この唐戸峠の「からと」という名称だが、「唐戸」は建築用語では両開きの板扉の総称。
奈良時代から平安までにはこの峠に関所が設けられ、その門が唐戸(板扉)で閉じられていたこと
から名付けられたに違いない。
仏隆寺は空海(弘法大師)が唐から持ち帰った最古の茶を栽培した所といわれ、大和茶発祥の
地とされている。唐戸峠の関所はこの茶の種の他国への流出を取り締まっる監視所だった。
よそ者(特に隠し所の多い女人)の往来を制限していたのではないか。(と、考えてみても見たたが
関所の存在はまああり得るとしても、お茶の種の流出防止が目的ではなく、もっと他の理由だった
のかもしれない)※ 追記

 s-P6251449唐戸峠.jpg
 唐戸峠 完全舗装された新道

室生古道を行くのは今回が初めてのことだが、三余年前に仏隆寺までは一度だけ来たことがある。
冬の雨の日で、その時に目にした雨にかすむ山並みが忘れられず、いつかまた訪ねたいと思いつつ
今日になった。

 s-P6251463雨滴(タケニグサ).jpg s-P7021618山アジサイ雨光.jpg
 道ばたで良く見かけた「タケニグサ」に梅雨が      古道沿いに点々と山アジサイが咲く    

本伊勢街道と室生寺を結ぶ「室生古道」。むろおこどう、なんと美しい響きだろう。
今では休日ともなれば歴史と自然が大好きなシルバーウォーカーが群れを為して通り過ぎるが、昔は
(多分戦前あたりまでは)決して気楽に通行できる道ではなかったと思える。昼日中でも鹿や猪に遭遇
する深山の険しい山道。物見遊山の旅人が室生寺への近道として気軽に行き来できる道ではなかった
はず。
修験者や杣人の道、時には表街道を歩けない訳あり者の抜け道だった。
室生古道はそんな思いに浸りながら歩いて行ける雰囲気を持った道である。

 s-P6251403古民家.jpg
 宇陀市榛原区赤埴(あかばね)の古民家

仏隆寺から少し山に上がったところに茅葺の旧い民家があった。まるで向井潤吉氏(1901~1995)
の描く古民家のような佇まいだ。保存民家ではない。今も居住者が生活する現住家屋である。
この地区でも現存する茅葺屋根の家屋の殆どがトタン葺に変わってしまっているのに、これは
ほんとうに珍しく貴重なモノと思う。古民家ブームではあるが、生まれて以来住み続けるこの家の
住人にとってはそれなりの不便や苦労もあるだろうが、今後も是非現状を維持してもらえたらと
願うばかりだ。

 s-P6251488深谷川源流.jpg
 「深谷川」源流 室生湖に流れ込む

唐戸峠から1.5qほど室生寺方面に進むと、道の左手に細い水の流れが現れる。室生湖に流れ込む
深谷川の源流だろう。流れは川の両岸を覆う笹や木々に隠されてややもすると見逃してしまいそう
だが、所々に垣間見える川を包む景色にはなにか心惹かれるものがある。
錆色の河床と笹の葉や苔色に染まった木肌との緑の対比が心地よいバランス感を創りだしている。
この流れは5,6百mくらいの間、道の左や右を並行して流れていたが、突然消えてしまった。

その先しばらく杉や檜の植林の間の道を行くと、唐突に室生の集落に出る。


※追記 2012.9.8
唐戸峠に関して
大阪・奈良方面から室生寺への参拝は室生口大野から室生川沿いの道を車で行くのが普通だが、昔はこの道(奈良県道28号)はなく、大野寺の参拝後、今は東海自然歩道となっている山道を歩いた。しかしそれも昭和五年(1930)に参宮急行鉄道(現在の近鉄大阪線)の室生口大野駅が開業された以降の事である。それ以前は伊勢本街道の高井から入る室生古道を行くのが最短ルートであった。
唐戸峠は、室生古道を、仏隆寺を経て室生寺へ行く入り口にあたり、そこに関所が設けられていた(と思う)。『関所は、古代では軍事防衛上の目的で設けられたが、中世になると、軍事警察より、経済的な作用を持つ関所が主となってくる。すなわち私的な交通の増加に伴って、道路や港などの開発や維持警護に要する費用を利用者から徴収するという趣旨であったが、やがて朝廷や寺社が、領地からの収入の減少を補充するため、関所の通行料(関銭)に新財源求めるようになり、さらには土豪がその上前をはねるようになって、おびただしい関所が作られた。(中略)伊勢本街道の通行者が増えるにつれて、通行料を徴収するための関所が十五世紀中頃各地に設けられた』『仏隆寺のある赤埴(あかばね)は、鎌倉時代から見える荘園名で、興福寺大乗院領であった。当時の地頭は赤埴殿と古文書にある。赤埴は当時から伊勢街道の要地であったから関所が四か所も設けられた。』
唐戸峠は、室生古道を通って室生寺に参拝に行くには通らざるを得ない峠道で、峠を越える人々から関銭を徴収するための関所を設ける場所として最適であった。
室生古道の「唐戸峠」については伝聞や資料が(いまのところ)見つからないので、由来について本当のところはわかっていない。唐戸峠の南東に唐戸山がある。


posted by ハマー at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 長谷・室生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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