2012年05月20日

室生寺 シャクナゲを植えた人たちの

室生寺 5月12日
時季としては遅かったのだが、それでも境内のところどころにシャクナゲの花が残っていた。
参道から伽藍を囲む密生したシャクナゲの木を見れば、満開の頃の見事さを容易に想像すること
ができる。
室生寺はシャクナゲの寺としてよく知られているが、なんとその数3000株もあるという。
このシャクナゲ、自生していたものではなく、昭和9年(1934年)以来信者の移植奉仕により、
山門から奥之院までの参道を埋め尽くすようになったという。

s-P5121173室生寺シャクナゲ.jpg

この移植の経緯はあまり知られていないようだが、「私の古寺巡礼 奈良」――室生寺の章のなかで
田中澄江氏(1908−2000)が次のように記している。

『〜開花期は(牡丹に比べ)普通シャクナゲの方がすこし早いのだけれど、樹齢50年は越えようと思わ
れる樹が多く、海抜400mの山気の冷たさが幸いして、十分にまだ、満開の花を楽しむことができた。
杉や檜の老樹の間を埋める、うす紅や鮮紅の花のあでやかさは、息をのむばかりで、昭和九年から発足
したという信徒たちのシャクナゲ講の丹精が見事に実っていた。 室生寺の南には吉野、大台ケ原の
峻嶺険嶺が連なり、その山腹や渓谷には、ツクシシャクナゲやホンシャクナゲが群生している。(中略)
十人ばかりで組織するシャクナゲ講のひとたちは、自身、スコップをかつぎ、唐鍬を持って、吉野や
大台ケ原の深山に入って採取し、室生寺の境内まで運んで来て植えつけるのである。その力業を必要と
する仕事には、女も進んで参加し、祖母から母へ孫へと手入れを受けついでいる。女人高野にふさわし
い床しい奉仕と思われた。』

s-P5046356.jpg

はたして女人高野にふさわしいのかどうか自分には分からないが、講のひとたちがシャクナゲの植栽を
決意したのには、なんらかのきっかけか理由があったはずだ。

今風に言えば「村おこし」みたいに、観光客招致を目的としてシャクナゲの植栽奉仕を決意したとはと
ても考えられない。昭和九年という年は、日本が戦争に向けて暗黒のトンネルに二歩、三歩と確実に踏
み込んで行った時である。世相的に必ずしも明るい時代ではなかった。

今では車やバスを使えば楽に室生寺に辿り着け、参詣もできるが、昭和九年の当時、室生寺へは近鉄
室生口大野駅から室生川沿いのおよそ7q道のりを徒歩で登りきらなければならなかった。
帰路も同様である。
室生寺は太古の昔もその当時も気軽に行けるような場所ではなかった。山岳寺院である。訪れるのは、
篤い信仰心を持った人々や仏像愛好家や修学旅行の女学生などに限られていた。花見遊山には厳しすぎ
る所だった。

奉仕といえば、室生寺の奥の院へ続く700段に及ぶ石の階段も明治時代に入ってから整備されたものと
いう。それまでは険しい崖のようなところを這うようにして登って上がったという。登るだけではない、
下りてくるのも命がけだった。
現在の奥之院に進むまっすぐな石段も(登り下りは苦行に近いが)信者からの寄進と奉仕で造られた。

 s-P5121157.jpg 

シャクナゲ講の人たちが何故室生寺の広大な境内にシャクナゲの花木を移植することにしたのか、その
理由は分からないままだが、一株、一株と植え続けて行くに従い、自分自身の心の内がシャクナゲの
うす紅や鮮紅の花で埋まって行くような、そんな充足感を得ていたのではないのか、そんな気がする。
そして、それが信仰というものなのかもしれない。


posted by ハマー at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 長谷・室生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。