2011年09月28日

山の辺の道 三輪山麓に咲く曼珠沙華


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 卑弥呼の墓の周濠跡を通るJR桜井線

卑弥呼の墓の可能性が高いといわれる箸墓古墳がある桜井市箸中あたりは、山の辺の道の中でも纏ま
った稲田が残る。三輪山の裾曲の穏やかな斜面に広がる稲田は今一面黄檗(きはだ)色に染まり、もう
しばらすれば刈り入れの時を迎えるはずだ。夏の間に茂った畦の雑草は刈り払われ、曼珠沙華の赤い
花がこの時を待ちわびたかのように一気に咲く。

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 石仏たち/桜井市芝

俳人稲畑汀子に『大和路のときをあやまたず曼珠沙華』という句がある。大和路は奈良の古称だがこ
の土地の穏やかな風土をよくイメージさせ響きがいい。「ときをあやまたず」とは毎年秋分の日あた
りに必ず開花する曼珠沙華の生命の神秘に驚き、そのことを称える詩と思うが、季節の移ろいを目に
見える形で知り得る感動をストレートに表わしていると思う。
確かに、野道や田畑に咲く曼珠沙華を見たときは、何かほっとするというかしみじみと感じ入るもの
がある。
稲畑汀子は祖父高浜虚子や正岡子規の伝統的な句風を受け継ぐ(多分)現役の俳人で、写真を撮る上で
とてもサジェスチョンに富んだ句を見せてくれる大好きな作家の一人である。

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 『畦道を標のごとく曼珠沙華』稲畑汀子

稲はかなり背丈のある植物で稈長(茎)は1m前後になる。成長がピークに達する夏の終わりには畦が何
処にあるのか見えなくなってしまう。だが巧いことに刈入れの時期が近づくと稲と同じくらいの高さ
までに伸びた赤い曼珠沙華の花がまるで道標のように畦道の在り処を教えてくれる。曼珠沙華はそん
な役割を持った花でもあるのだ。

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曼珠沙華は開花期にはそのものの葉を見ることがなく他の草の間に湧いて出るように赤い花を咲か
す。隙間を見つけてスッと現れる、そのせいか意外に景色に馴染むというか前からあったかのようで
違和感がない。赤色は反対色でもある自然の緑色にもよく調和する。

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 『曼珠沙華咲きていつもと違う路地』小林奈々

しかしこの赤色は、ほんの短期間、日頃見慣れた景色を一変させる。もちろん桜や梅、菜の花だって
それまでの景色を変える。しかし、曼珠沙華はある日突然のごとく足下からの景色を変える。そして
忽然と消え以前の景色に還る。この唐突な景色の変化を俳人はうまく表現する。

『まへがきもあとがきもなし曼珠沙華』黛まどか 

 s-P9257968曼珠沙華.jpg 

劇的な景色の変化を実にうまくあっけらかんと句にするものだ。写真ではとても真似のできないこと
かもしれない。でも、そんな写真を撮ってみたいと思う。
曼珠沙華の花は今週一杯が咲きどき、そして撮り時。

参考URL
※季語別俳句歳時記 曼珠沙華
http://www.haisi.com/saijiki/manjushage1.htm
posted by ハマー at 02:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月21日

曼珠沙華を撮るということ

曼珠沙華の花を撮りたいと思うようになったのは、細見綾子の奈良百句の中の
『寂光というあらば見せよ曼珠沙華』という一句を知って以来のことである。
法隆寺で詠んだ句とのことだがそこに咲いた曼珠沙華の花を見てのことではないという。なにか閃く
ものがあったのだろ。
 s-P9254028まんじゅしゃげ.jpg

この句を知って以来それまで避けて通っていた、忌み嫌っていた曼珠沙華の花に強く惹かれるように
なった。曼珠沙華の花を嫌っていたのは子供の頃に専ら近くの寺の墓地でこの花を見ていたからだと
思う。まるで造花のように毒々しい赤い派手な造りの花と冷たく白く光る墓石の不気味さとが合いあ
わさって、子供心にも死後の世界、なにか恐ろしい花と感じて遠ざけていたのだと思う。

斉藤茂吉は随筆「曼珠沙華」に、古来日本人が曼珠沙華を好まなかった訳を書いている。
『一体この花は、青い葉が無くて、茎のうえにずぼりと紅い特有の花を付けているので、渋味とか寂
びとか幽玄とかいう、一部の日本人の好尚からいうと合わないところがある。(中略)この花は、死人
花、地獄花とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろ
う。』と。なるほど、そのように考えたことは無かったが、確かにアンバランスというか不自然であ
る。
だが斉藤茂吉は『直接法に無遠慮にあの紅い花を咲かせている。そういう点が私にはいかにも愛らし
い。』と擁護しているのである。

 s-P9187660天上の花.jpg

細見綾子にせよ斉藤茂吉にせよ俳人や文学者の感性はほんとうに素晴らしいと思う。以前から思って
いることだが、俳人の感受性と写真家の感受性というか閃(ひらめ)きという面は創作への入り口とい
う部分に関してとても似ていると思う。しかし俳人は具体的に言葉で心情や情景を描写するという点
ではより鮮鋭でなくてはならないのかもしれない。

 s-P9207842曼珠沙華.jpg

『寂光というあらば見せよ曼珠沙華』
作者がこの句に何を意図したのか忘れてしまった。曼珠沙華の持つ仏教的意味合いをそして、「常寂
光土」のことであろう「寂光」を写真でどう見せられるか、今では曼珠沙華を撮る上での狙いであり
目的となている。


◎追記 23年9月28日 細見綾子「奈良百句」曼珠沙華

『寂光というあらば見せよ曼珠沙華』 
 法隆寺へ行くと宝物殿の「玉虫の厨子」をいつも見ることにしている。
黒く小さなこの厨子は何回か見たということで親しい。厨子を見たあと、
中庭を見下ろすと曼珠沙華が群生して咲いているのを見つけた。建物と
建物の間の見落とすような空地に。
 こんなところに曼珠沙華が咲いている、と少なからず驚いた。曼珠沙
華はいつも驚かせる花、九月のはじめの雨後に突如と咲きでて、色の鮮
やかさ、火炎のような花形のおもしろさは類がない。
 しかし法隆寺の曼珠沙華には驚いた。初秋の夕日がさしていたからか
もしれないが、花の色はすこぶる朱色がかかっていて、寂光という言葉を
連想させた。寂光というものがあるならば今ここで見せてほしい、とこ
い願った。
 人はそんな所に曼珠沙華が咲くはずかないという。まさしく咲くはず
のないところに咲いていた。
(曼珠沙華 昭和十五年)
細見綾子「奈良百句」1984年11月30日発行 株式会社用美社 転載




posted by ハマー at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

山の辺の道 曼珠沙華咲いた 

彼岸花が咲き始めている。今年はいつまでも暑気が残っていて秋の訪れが遅れているように感じてい
たが、彼岸花がいつの年も変わることのない季節の移ろいを教えてくれる。

 s-P9177578彼岸花.jpg 
 石上神宮あたり

彼岸花は毎年秋の彼岸の頃に咲くことからこの名前がついたといわれるが、調べてみると確かに毎年
彼岸の期間には必ず咲いている。暑いから遅れるとか寒いから早まるということはないようだ。
梅や桜の開花が気温に強く影響されるのに、彼岸花は決まった日月に芽を出し茎を伸ばしそして開花
する、不思議な花だ。

 s-P9187653曼珠沙華.jpg 
 「曼珠沙華茎見えそろふ盛りなり」飯田蛇笏

山の辺の道は奈良盆地の東山麓を走る北は奈良市の春日神社、南は桜井市の三輪あたりまで続く17〜
18kmの道だが、何処にでも彼岸花を目にすることができる。
山の辺の道あたりは弥生時代から稲作の行われきた土地である。田の畦に咲く彼岸花は太古の時代か
ら今に続く変わらぬ景色であるに違いない。

 s-P9187642曼珠沙華.jpg
 「曼珠沙華咲きそめし紅ほのかにて」飯田蛇笏

彼岸花は日本全国で見られるごくポピュラーな花であるが、人が広めた里の草花である。山道でも目
にすることがあるが、かつてはそこには必ず田畑があったはずである。よく見れば人の手の入ったこ
とのある場所であることがわかる。

 s-P9187673曼珠沙華と蝶.jpg
 曼珠沙華にとまる「ダイミョウセセリ」 

彼岸花は次から次へと芽を出し開花を続け、同じ場所で一週間くらい花を見ることができるが、一輪
一輪の花が輝き咲くのはわずか一日である。翌日には色褪せ衰えてしまう。
意外に寿命の短い花である。
彼岸の入りから明けまでの一週間、まさに花を求めて飛び回るミツバチのように、カメラを手に、三
脚を肩にあちこち飛び回らなくてはならないのだが・・・・
posted by ハマー at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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