2011年02月19日

ならやま 雪景色

2月15日 雪のならやま 

雪の降り積もる奈良をついに体験できた。
東大寺にしようか、薬師寺にしようか、雪が降ったら何処で何を撮ろうか以前から色々考えていたけ
れど、結局「ならやま」に向う。太古の自然がそのままに残っているというその地で雪景色を見たか
ったから。

 P2149936平城山散歩道雪日.jpg 

山道に入ってすぐ、藪椿を見つけた。葉も花も雪に埋もれてほとんど見えないが、鮮やかな赤が目を
惹いた。鈴木利策みたいに画面に白い雪を多く取り入れ、絞りを開放にして、撮る。雪の質感が飛ん
で白さが際立つ。

 s-P2149931雪椿.jpg 

竹の葉は、冬の終わり頃に穂先から徐々に黄色に色褪せて行く。
県道わきの竹林、激しく降り積もる雪の重みで穂先を低く垂らした竹むらは、まるで風に揺れ動く巨
大な稲波のようだ。ちょっと不気味で異様な雰囲気についシャッターを重ねる。
六、七分間のことであったが、片手では支えていられないくらいに重くなるまで傘に雪が積もってし
まっていたことに気づく。その後も激しい雪は降り止まなかった。

 s-P2149944竹林吹雪く.jpg 

奈保山の元正天皇陵に着いたのは午後五時半すぎ。あたりは降雪のためすでに仄の暗い。
写真を撮っていると目の縁になにかが動いた、と思った。なんと自分の横を狸が横切って行くではな
いか。こちらには全く気がついていない。下を向いてトボトボと藪の中へと消えて行った。
これまでに猪の群れやイタチなどの小動物にはよく遭遇したが、奈良市で狸を見たのは初めて。夜に
なったものと間違えてはい出して来たのだろうか。

 s-P2149963元正天皇陵.jpg 

2月16日 旧伊勢街道

 s-P2159994雪解道.jpg 

奈良坂から中ノ川に抜ける旧伊瀬街道を進む。この道は昨年12月9日偶然に入り込んだ道で、尾根伝
いなので見晴らしが良く気に入っている。今朝は当然一番乗りかと思っていたら、通勤の車なのだろ
うかしっかりと轍が残されているではないか。ちょっと悔しい。

 s-P2159976竹林雪飛沫.jpg 

道沿いの竹林に入る。低く斜めに射しこむ朝の光と、逆光に浮かび上がる佇立する無数の竹のシ
ルエットが綺麗だ。
昨日の積雪の重みで弓なりにたわんだ竹の穂先に残った雪に朝陽があたり、溶け落ち軽くなったとこ
ろで突然解き放たれた投石器の弓つるみたいに頭を跳ね上げ、残っていた雪を回りに跳ね散らす。シ
ャワーのように舞い落ちてくる粉雪に朝陽があたり、一瞬、薄くらい林内がキラキラと輝く。

 s-P2150017塔雪に映える.jpg
 

今日の目的地は旧伊瀬街道の途中にある石塔と石龕仏のあるところまで行く。片道四kmの道のり。
歩いて行くに従い積もった雪が徐々に深くなる。この山はすぐそこに見える若草山とほぼ同じ高さだ
から、標高は300m以上ある。雲が降りてくる高さだ。積雪は10cm以上あるようだ。
足下で粉雪がキシキシと鳴る。懐かしい音だ。子供の頃、学校の行き帰りによく聞いた音だ。 

石塔も石龕仏の周りもすっかり粉雪が降り積もっている。雪は景色を全く異なるものに変えてくれ
る。この鎌倉時代に造られた石像物が今日は一段と美しいと思った。
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2011年02月17日

山の辺の道で「梅の樹」について考えたこと

2月16日 山の辺の道。梅の花が咲き始めた。
今週の初めに降った雪はほとんど消えてしまったが、地表は今朝、強い霜に覆われた。やっと開いた
梅の花がその姿のまま地面に落ちている。冬草と梅花と霜と雪ちょっとステキな絵を見せてくれてい
る。

s-P2160078落梅霜雪.jpg


万葉集に、この景色にピッタリの歌がある。

「霜雪もいまだ過ぎねば思わずに春日の里に梅の花見つ」 大伴三林(おおとものみはやし)

「まだ霜や雪も消えていないうちに、思いもかけずに春日の里に梅の花を見ました」という意味のよ
うだが、そう大和の梅の初花はちょうど今頃、「春隣」の時季に始まる。

万葉集で「梅」は、花を題材にした歌の中で「萩」に次いで多く詠われている。
漢詩からの表現であるが、花の楽しみ方にも「探梅」「賞梅」「送梅」と花の咲具合にあわせて言葉
ができてしまうほどで、梅の人気ぶりが伺われる。

s-P2160049白梅霜の朝.jpg

「探梅 たんばい」は咲き始めの時期、ちらほら咲いている梅の花を探しながら観賞することを言い
う。満開のその時よりも、一つふたつ開いた花を見て満開の時を思い浮かべるほうが確かに楽しみだ
し、また寒い冬を耐えて膨らむ蕾は愛おしい。

「賞梅 しょうばい」は、見頃の時期、いっせいに咲き誇った梅の花を観賞する。
「送梅 そうばい」は咲き終わりの時期、散り行く梅の花を名残り惜しみながら観賞する。

s-P2160061紅梅乱花.jpg

奈良・山の辺の道では、二月の中旬の今頃がちょうど「探梅」の時季にあたる。
「送梅」はその時季がちょうど桜の咲き始めに重なりつい見過ごしてしまうのが実情だが、ちょうど
卒業式シーズンにあたるから、少しセンチな気分で散る梅を見るのもいいのかな。

散り行く梅を詠った、「一輪を五つに分けて梅散りぬ」という与謝蕪村の句がある。
散り方も派手な桜とは違う、楚々とした侘しさが、確かに梅の花にはある。

s-P2160106きになる木.jpg

■山の辺の道で「梅」について考えたこと

梅は奈良時代に薬用植物として中国から日本に伝わったといわれるだけあって、人里離れたれた山中
で梅の木を見ることは少ない。もし人の住まない山の中で梅の花を見たならばそれは、かつてその近
辺に人が住んでいたものと考えてもよい。

s-P216017白梅咲く5.jpg
 
昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」というが、このことわざは、梅の木を剪定することの必要性を
巧みに言い表したものだと思う。梅は手を入れずに放置すると、枝先から枯れ始め、ついには木その
ものを枯らしてしまう。

花の咲く時期に山の辺の道を行くと、遠く山中に白や紅の梅の花を見ることがある。10m近くの高さま
でに育った木ではあるが、近づいて見ると枝先に申し訳程度に花をつけているだけの痩せた貧弱な姿
を晒している。

 s-P2160094老梅蕾開く.jpg

花のつかなくなった枝は「ポキッ」と音を立て簡単に手折ることが出来る。梅は新枝が一年間に2m
から3mくらいにまで伸びるすごい成長力を持つが、新芽が無数に吹いて繁茂するために、そのまま
放置すると木そのものに栄養が回らなくなり衰弱し枯れ死する

 s-P2150039紅梅淡く.jpg

 1300年以上の歴史を持つ山の辺の道周辺の地域であるが、今ではそこに広がる果樹園は高齢化が進
み後継者も無く果樹栽培という産業そのものもが急速に衰退している。大和高原に至る傾斜のきつい
山の斜面に放置された果樹園は、雑草やつる性の草木に覆われ、木は光を絶たれ生命としての営みを
奪われる。

梅に限らず、柿の木も同様で、人が切り拓いた山河は再び自然の力に飲み込まれようとしている。



参考Web URL
今月の薬用植物「梅」
http://nckansai.blog69.fc2.com/blog-entry-27.html
世界の樹木「梅」
http://www.wood.co.jp/wood/index.html
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2011年02月08日

奈良・霊山寺 冬の薔薇

■冬の薔薇と霊山寺
奈良・霊山寺(りょうせんじ)は’08年12月以来二回目の訪山だが、どういうわけか今回もオフシーズ
ンになった。霊山寺は全国でも珍しく境内に薔薇園を持つ寺である。この冬の季節、園内のバラに見
るべきものはないが・・・

 s-P2079845冬の薔薇.jpg

この頃、俳句集を読んでいる。その中に「冬薔薇」という季語がよく出てくる。「ふゆそうび」と読
む。冬の薔薇と言うとなにか「暗い美しさ、耐える美しさ」を感じる。句作者が見る冬の薔薇とはど
んなイメージなのだろう。

「一輪の赤を咲き切る冬薔薇」 平田弘
「冬薔薇あかく咲かんと黒みもつ」 細見綾子
「逢ふことのためらひすこし冬薔薇」 加藤三七子

 s-P2079854冬の薔薇.jpg

どれも、心に染入る、美しい句だ。では、季語としての冬薔薇はともかくとして、一度冬に咲く本物
のバラを見てみたいと思い、霊山寺のバラ園を覗いてみた
撮った写真を見ても、そこに華やかさはない。もちろん香りも感じない。冬薔薇は日本人が好きな
「侘び」の世界なのだ。

■冬の霊山寺

『美しい建物や仏像が、これほどたくさんあって、宣伝もけんめいにやっているのに、観光客のあま
り出かけてゆかない、不思議なお寺がある。富雄の霊山寺(りょうせんじ)だ。ここは、観光ルートの
エア・ポケットかもしれない。』
松本清張の著作「今日の風土記 奈良の旅」の霊山寺の章の書き出しである。さすがうまいこと言い
表している、清張氏は。
 
 s-P2079907紅梅古木花蕾.jpg 

確かに、今回も境内に人の気配はない。もっとも冬の奈良の寺は何処も似たようなものではある。な
にか行事がある時以外は、人影まばらでさびしい限りである。そろそろ「梅」の見られる時季のはず
だが、まだまだ固い蕾のまま。今日は、観梅には早すぎる。

 s-P2079889霊山寺本堂石段灯篭.jpg
 霊山寺本堂階段下から灯篭を見る

この寺には『酒あり、料理あり、女あり、温泉あり、おまけにバラ園やタクシー会社があったり、そ
れがみな、この寺の直営だそうだ。ついでにゴルフ場や水泳のプールのないのがおかしいくらいであ
る。(中略)とにかくこの寺には、俗人の俗欲を満足させてくれる条件が、ひととおりそろってい
る。』と松本清張の辛らつな言葉は続く。
この本が出版されたのは昭和41年4月のことであるが、その後に(ちゃっかり)ゴルフ練習場も出来た、ようだ。

 s-P2079909役行者石像.jpg
 役行者石像

しかし、目を転じてみれば、自所に墓地を持つ目端の利く寺は、どこも同じようなものである。つま
り霊山寺は観光や信心を目的に行く癒しや救いの場ではなく、古いスタイルの葬儀場、セレモニーホ
ールなのだ。境内の賑々しい施設は、葬儀の場として、弔いのフルコースがセットされているに過ぎないのだ。 

 s-P2079866霊山寺開山大師下弥勒菩薩石像.jpg 
 弥勒菩薩石像
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2011年02月05日

信貴山・朝護孫子寺のムカデ絵馬などについて

□二月三日、信貴山の朝護孫子寺へ行く

阪神タイガースの菩提寺・朝護孫子寺のイメージキャラクターは「世界一巨大な張子の虎」。
驚かされることにこの張子の虎の頭は機械仕掛けで上下に動く。
実はこの「世界一福寅」は大阪の新興上場企業OSGコーポレーションが会社創立50周年記念に「白虎
モニュメント」として、信貴大橋たもとにある「西方守護神白寅」とともに信貴山の宿坊千手院に奉
納したもの。まこと大阪ナニワの実業家の財力と発想にいたく感心、納得する次第であります。

 s-P2039723信貴山世界一福寅.jpg s-P2039728本坊玄関吼虎.jpg
 信貴山世界一福寅                 朝護孫子寺本坊玄関番虎          

『むかしは、大和の人びとの神秘的な信仰の道場であった信貴山は、寺も門前町もあげて遊客(観光
客)へのサービスにつとめ、全山の坊が料飲店同様になって、楠木正成が信仰した信貴山(朝護孫子寺)
のイメージが薄れてしまうことで、今日の繁栄を得ているのである。(中略) 信貴山は、およそ大和
の山らしくない山に今日かわりつつある。むしろ、今日の信貴山は、大和の山ではなくて、大阪の山
だと思ったほうが話がよくわかる。』
これは昭和41年4月に発行された松本清張の著作「今日の風土記 奈良の寺」の中の「生駒山と信貴
山」の章に記された一文である。

 s-P2039732成福院多宝塔眺望.jpg s-P2039755宿坊玉蔵院階段.jpg 
 成福院から多宝塔を見る               あでやか旗指物ならぶ玉蔵院への路

信貴山だけではない、当麻寺、宝山寺、霊山寺など奈良盆地(国中)の西側に連なる生駒、葛城の峰々
に点在する寺々はどこも同じ臭いがする。古都奈良の寺という趣はどこにもない。奈良の寺の気配を
今に残すのは、かろうじて生駒山の東に並走する矢田丘陵の法隆寺、矢田寺、松尾寺までであろう
か。信貴山や当麻寺に至っては、奈良市から行くよりも、大阪市からの方が安全・快適に行ける。

 s-P2039750本堂眺望地蔵尊.jpg s-P2039776千手院毘沙門護摩.jpg
 本堂階段から地蔵尊を望む             護摩焚き法要「法弓作法」

この本が書かれたのは45年前のことである。かつては信貴山バス停から仁王門に続く朝護孫子寺への
参道200mにあったと思われる旅館も土産物店も数軒を残すのみで淋しいかぎりである。これは、昭和
39年までに貫通した信貴生駒スカイラインと参道の南側に平行して整備された自動車道の影響であ
る。大阪府や奈良市街から簡単に行けるようになった反面、信貴山は身近なレジャースポットどころ
か、奈良観光の通過点の一つに過ぎなくなってしまったようだ。

 s-P2039712千体地蔵.jpg 
 朝護孫子寺参道仁王門前の「千体地蔵」

□朝護孫子寺の絵馬堂
この日、朝護孫子寺に出かけたのは、ここに「絵馬堂」があることを前から知っていて、以前から見
に行きたいと思っていた。

「絵馬堂」の建物は寺のHPを見ると、安政年間(1854〜)大阪堂島の木綿屋梅蔵が寄進したものとあ
る。世界一福寅と赤門(山門)の間にあり、現在は「経納所」兼休憩所として利用されており、つい見
逃してしまうが、切妻造りの立派な建築物である。
信貴山 朝護孫子寺 http://www.sigisan.or.jp/

信貴山の絵馬堂には他に例を見ない百足(むかで)の絵馬が奉納されている。百足というのは信貴山の
毘沙門天のお使いということらしいが、足が多いので「おあし」が多いということで、商売人に非常
に好まれた。だから大阪方面からもお参りの人が絶えず、昔は百足の大絵馬、小絵馬を盛んに奉納し
たようだ。信貴山では絵馬だけではなくて、毘沙門天にお供えするものにはみな百足の絵をあしらっ
て奉納しているが、この百足の図柄はこの信貴山にしか、今は見られない。(角川書店発行「真珠の小
箱C奈良の冬」 大和の絵馬 岩井宏實 )

 s-P2039788絵馬堂ムカデ.jpg s-P2039791百足絵馬.jpg
 ムカデと五重塔銭額絵馬                       百足をあしらった絵馬

 奉納された絵馬の中に「銭額」とよばれる古銭を使って五重塔を模した額がある。
「銭額」は絵馬の一種であるが、『一銭また一銭と日常生活で無駄を省き、せっせと働いて貯めたお
金で作ったもので、この絵馬の「塔」には信心と汗がこめられている。「富者の万灯、貧者の一灯」
で、本来なら実際の堂塔をと思うのだが、暮らしに追われているものにはせめてもの一灯で、尊い浄
財の寄進である。』(出典:「狛犬放浪記」File20:鶴岡市山田/白鬚神社)

五重塔の銭額の他、百足や虎を描いたものも見られる。しかし、五重塔以外の額の古銭は全て剥ぎ取
られてしまっている。墨書された奉納年から考えて、自然に落下したものとは考えられない。推測で
あるが、戦時中に他の銅製品とともに供出したのであろう。

s-P2039786納経所絵馬.jpg

絵馬堂は昔、神社や寺には普通にあったようだが、絵馬が小型化したことや、予め神社や寺が用意し
た同じ図柄の「小絵馬」を購入して奉納するようになって以来、有名な絵師や職人が描いたという美
術的な価値も薄れ、大量消費される消耗品となった。飾り置く意義もなくなり、それとともに絵馬堂
も休憩所に変ったり、建物自体がなくなってしまった。

 s-P2039793七福神絵馬.jpg
 七福神絵馬 朝護孫子寺所蔵の七福神の画を模写したもの 

この日、朝護孫子寺の霊宝館で「国宝信貴山縁起絵巻」のデジタル写真による複製を見た。
絵馬と国宝を同列に論じるわけには行かないが、「絵馬」は時代の移り変わりとともに変化する民間信仰の要素(内容)を知る手立てとして貴重なものである。現在も絵馬は神社寺院に盛んに奉納されているが、古い時代の絵馬は日本全国から日一日亡失の命運にある。屋外や軒下に飾られる絵馬は日射や風雨、乾湿の影響をまともに受けるため劣化が激しい。
今日見た絵馬も後二十年もすれば何が描かれていたのかわからなくなってしまうだろう。

絵馬 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B5%E9%A6%AC
NHK 美の壷 Fiie80 絵馬
http://www.nhk.or.jp/tsubo/arc-20080215.html#modalWindow02
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2011年02月02日

梅は咲いたか 奈良・山の辺の道「車谷・冬の花」(2)

□梅は咲いたか、
ニュースで、梅の開花時期が例年より早まると聞いた。この冬はホントに寒い日がつづくので去年
よりも開花は遅いのではと考えていたのだが。やにわに信じる気にはなれなかったが・・・・去年、
花の時期を勘違いし、撮影チャンスを逃してしまったのでとにかく偵察に(探梅のつもりで)行くこと
にした。

 s-P2019682車谷早梅.jpg 

調べてみると、梅の開花条件は「気温7℃以下が1000時間以上必要」とされている。その点から行け
ば今年の冬の寒さは相当なものなので、開花が早まるというニュースの云うことは合ってるような気
もする。しかし、去年の晩秋から暮れにかけてはなんだか随分暖かかったような記憶もある。とする
と、累積気温としてははたして・・・・どんなものか。

奈良県桜井市の車谷に、去年の早春何箇所か梅の花を撮影した場所に寄って見たが、野山で梅はまだ
まだ固い「蕾」の状態で、かえって去年よりも遅れているようにも感じる。開花までにまだ一週間以
上かかるのではないかと思われる。
この時期に、梅花を見ることができるのは庭梅が中心であることは去年と変わらない。
奈良・山の辺の道の梅の咲き始めは、今年も二月の第二週から中旬になりそうだ。

 s-P2019647紅梅八重.jpg 

今日車谷の民家で見かけた梅は、紅梅と言ってもよいのか、くすんだ紫のような色相で曇り空の下で
見ると「黒」と言ってもよいほど地味な、渋い色をしている。あまりもの華のなさに一瞬レンズをそ
むけた。しかし、白や桃、紅などあでやかさが売り物の梅花にあって、この沈んだ花色も、よく見れ
ば味がある、のではと思いなおす。
この梅花は、図鑑なんかを見ると、「姫千鳥」という名前らしいが、ほんとのところはわからない。

□車谷・冬の花
先月、この車谷で「ロウバイ」と「サザンカ」の花を撮った。あれから二週間が過ぎた。あの花たち
は今どんなだろう。
なんとロウバイは伸ばした枝一面ビッシリと大小の花蕾に覆われている。手作りのベビーシューに飾
られているみたいだ。ろうばいの花は一花一包の寿命が長のだろう。

 s-P2019611車谷ロウバイ.jpg

サザンカは、これも花と蕾に覆われている。蕾の方が多いようだ。
今読み進めている飯田蛇笏氏の句を下敷きに一句

『花つぼみ照り葉のかすむサザンカの』、ついでにもう一句
『ロウバイの黄金に香る谷の冬』

両花ともにこれからもっともっと美しくなってゆくに違いない。一瞬、全身赤い花弁に覆われた、赤
いオーバーコートを纏ったようなサザンカの樹が目に浮かんで消えた。

 s-P201969午二月一日午後サザンカ.jpg 

 
posted by ハマー at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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