2010年12月30日

奈良公園の冬桜

奈良公園シルクロード交流館のすぐ北側の園地に冬のさなかというのに桜が咲いている。
朝の陽光を受けてキラキラと輝く姿を遠くから見たとき、一瞬ダイヤモンドダストかと思った。
(DDを実際には見たことは無いのだけれども)
花を仔細に見ると、開いているもの、花びらが散り掛かっているもの、ガクだけのものなど様ざま
だ。葉は見えない。

 s-PC298439冬桜朝陽の中輝けり.jpg
 「冬ザクラ独り気高し枯野かな」

写真を撮っていたら『風で揺れて撮りにくいでしょう』と男性(K氏)が声をかけてきた。聞いてみると
近畿大学農学部でクローンとかミュータントの研究をしているという。
『この桜は冬桜と言って、大島桜と豆桜の雑種です』と教えてくれた。

大島桜はソメイヨシノ他多くのサトザクラと呼ばれる栽培品種の片親となっており、このサクラがな
ければ、現在のような多くの品種が存在しなかったと言われる。
マメザクラは富士山や箱根山を中心に自生している桜。箱根山は標高1438mの高山である。この高度
(気温)で咲く遺伝子が、初冬の平地で花開く「冬桜」を創ったのだろう。

冬に咲き散り、春にまたもう一度一回り大きな白い花をつける。この桜木にとってどちらが本番にな
るのだろう。ただ散るためだけに花開く冬の花。他に桜の咲かない冬の時季こそが「冬桜」の独り舞
台、本番なのかも。

K氏は植物の突然変異種を見つけにしばしば奈良公園一帯を歩き回っている。いわゆるプラントハン
ターか。科学者にとって、人の手によらない雑種や突然変異種の桜を見つけることにはなんらかの意
義があるにちがいない。奈良公園には15種類くらいの桜がある。人知れず新たな種が誕生している可
能性は充分にある。

参考URL
※この花さくや図鑑 冬桜
http://hccweb5.bai.ne.jp/nishicerasus/cera-hm/c-fuyu.html
季語別俳句歳時記「冬桜」より
http://www.haisi.com/saijiki/huyuzakura.htm
「風に耐えいよいよ白く冬桜」稲畑廣太郎
「冬ざくら朝日しづかに射しわたる」阿部ひろし
「冬桜まばらに咲きて色淡く」渡辺睦夫
「冬桜淡き光をまとひをり」和智秀子 


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2010年12月28日

矢田寺の冬 遍路道

初夏紫陽花の咲く頃花見客で溢れかえる矢田寺(やたでら)も、冬の間は訪れる人も少なく閑散として
淋しい。境内のあちこちに佇立するお地蔵さんもどこか寂そうだ。

 s-PC208230矢田寺冬裏参道.jpg s-PC208278矢田寺本堂裏地蔵菩薩石像.jpg

この時季、寺院の土塀の向こうから覗く薄桃色のサザンカの花が目を楽しませてくれる。しばらくは
この花が冬の矢田寺を飾るただ一つの花となる。

 s-PC208239矢田寺念仏院山茶花.jpg 

寺伝によれば矢田寺の創建は古く飛鳥時代白鳳八年(679年)に遡るが、宗派は空海(774-835)が開い
た高野山真言宗の寺院である。矢田寺大門坊の由来によれば『空海25歳の時に(修業で)矢田山に登ら
れ、不動明王を図写して国家安泰、万民豊楽の誓願をたてて留錫され「三大秘密教門院」と命名され
た寺院である』とある。
多分、空海が真言宗を確立する前後(823年)に、改宗したものと考えてもよいだろう。

 s-PC208312地蔵山参詣道.jpg 矢田寺四国八十八ヶ所霊場めぐり地図.jpg

矢田寺の裏山(地蔵山)に、四国八十八ヶ所を模した霊場がある。裏山から矢田寺の全景を撮影したい
と考え上がって行ったところ、墓所の先に続く山道に対に並んだ石仏を見つけた。その石仏から、道
の先にまた対になった石仏が見えるのである。まさか八十八体もの石仏が点々と続く「遍路道」の始
まりであったとは。

 s-PC208345地蔵山霊場参詣道.jpg s-PC208323薬師如来石像.jpg 

一周4.5km、約1.5時間の散歩道と案内板に書かれていたが、途中から傾斜のきつい登山道に変りとて
もそぞろ歩きというわけには行かない。それでも冬場の今は木々の葉がすっかり落ちて見通しもよ
く、明るい太陽が降り注ぎ汗ばむほどである。

 s-PC208360地蔵山霊場参詣.jpg 

45番札所は「岩屋寺」。本尊は左右に矜羯羅(こんがら)制吁迦(せいたか)の二童子を配した「不動明
王」三尊である。残念ながら童子の可愛さは感じられない。大正から昭和に刻まれた石像はどうも美
しさというか、繊細さ乏しいと思う。何故だろう。
左側に旅姿の弘法大師(空海)が並び見守る。ことによると、大門坊由来の「不動明王図写」の伝説
であろうか。

 s-PC208398不動明王石像.jpg 

岩屋寺から御影堂に下る山肌は一面もみじの幼木、若木に覆われている。今はすっかり葉を落として
裸木であるが、紅葉の時季は見事な景色を見せることであろう。この後10年もすれば初夏のアジサイ
に加えて、晩秋の矢田寺紅葉の名所に育っていることだろう。
遍路道を示す道標の「手指」のデザインがとてもいいじゃないか。

 s-PC208388矢田山遍路道.jpg


※矢田寺
http://www.yatadera.or.jp/
※大和郡山市 市長てくてく城下町
http://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/kouhou/tektek/000281.html
※歩き遍路入門講座
http://www.ippoippodo.com/blog/?eid=60
※Wikipedia 四国八十八箇所 「四国遍路」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E5%85%AB%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%AE%87%E6%89%80#.E4.BF.AE.E8.A1.8C.E3.81.AE.E5.9C.B0.E3.80.81.E5.9B.9B.E5.9B.BD


◆矢田寺へんろみち◆
大正末期から昭和にかけて整備されたものである。2006年4月18日付朝日新聞の記事によれば『戦後
倒木や生い茂った草で荒れ果てていたが〜四年前(2002年)から地元の地蔵講の信者が(再)整備を始め
た。また「矢田寺へんろみち保存会」を結成した山下正樹さんがモミジ2300本の植樹にも協力し〜』
とある。『お寺の協力もいただき、仏像や台座の修理、樹木の伐採や草刈り、標識や案内板の設置が
進められた結果、八十年余の時を経て、遍路道は復活への道を歩み出したのです。(市長てくてく城下
町)』

◆不動明王◆
大日如来の化身とされる不動明王。多々ある仏像の中でも化身とはいえこの忿怒相といわれるその形
相は異様である。空海が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像を持ちんだと言われる。アジ
アの仏教圏の中でも特に日本において平安時代から今に至るまで根強い信仰があるというか人気のあ
る仏様といわれているが、この形相と肥満した体形はどうしても好きになれない仏様である。
空海が唐より密教を伝えた際に日本に不動明王の図像を持ちんだと言われる。とにかく力づく好戦的
な仏さまである。
posted by ハマー at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月19日

興福寺の美しき聖観音菩薩石像

奈良の道を歩いているといたるところで石仏に出会う。さすが仏都といわれるだけのことはあると感
心させられる。あまりにもいたるところに在るので、驚くこともないし、珍しくも無いしもう何も感
じなくなってしまったほどだ。南北朝時代のものから室町、鎌倉時代の石仏がごろごろしているの
だ。転がっているのだ。

 s-PA253533石仏集積のような.jpg

それでも道端で砂埃を被ったり、犬のマーキングのせいでその近辺までも犬臭くて困ることもある。飼い
主も、お地蔵さんを犬の自由にさせないで欲しいと少し憤慨しつつ心を痛めている。一方、立派なお
堂や、小さなお堂に大切に安置されている石仏も多い。

 s-PC098082奈良坂観音菩薩石像.jpg

般若寺近くの墓所入り口でちょっと個性的な石仏を見かけた。あまりにも長い間雨風に晒されたせい
で目鼻立ちも定かではないが、頭部に宝冠のようなものと肩の辺りに条帛らしきものが見えるので、
多分聖観音菩薩だろう。 顔に残ったお化粧の跡がこの石仏を随分個性的な容貌に見せている。

般若寺の石仏を参拝に訪れる人は日々絶えることがないが、すぐ隣の墓所にまで足を運ぶ観光客はい
ない。石仏を見るのにもある程度の環境と知名度と由緒が必要なのだろう。
奈良の小寺や墓所は石仏の宝庫であることを是非知って欲しい。
石仏も「室町時代以降は庶民信仰に基づく像が多作されながら形式化が進み、美術的に目だったもの
はない。」らしい。

 s-P1110995興福寺雨に濡れる菩薩.jpg

興福寺の境内南円堂に登る階段の途中に素敵な石仏がある。これも聖観音菩薩像と思うが、定印結ん
だ手にはしっかりと蓮台を持つ。蓮台には多分小さな像が載っているのだろう。
なに時代の造りか分からないが、時々奈良の大寺で似たお顔の石仏を目にする。
スッキリとした目鼻だちの美しい菩薩さまである。露座では勿体ないような気もするが、堂に入れら
れてしまえば簡単にはその姿を見ることも出来なくなってしまうから、まあこのままで良いか。

奈良では石仏が溢れているが、興福寺のこの聖観音菩薩や奈良坂の菩薩たちは美人石仏コンテストに
出れば1を争うことは間違いないだろう、と思う。
posted by ハマー at 21:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 野の仏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月18日

サザンカ咲く奈良公園

奈良公園の東端、春日大社近くに奈良県新公会堂がある。この庭園に赤色の山茶花に隠されるように
白色の山茶花が数株楚々と咲いている。

山茶花(サザンカ)といえば赤色の花を思い浮かべるが、もともとはお茶の花のように白くて一重咲き
の梅に似たシンプル花だ (ということを今日初めて知った)。漢名では「茶梅」というそうだが、日本
名でも「山茶」という字があてられており、考えてみれば山茶花の花が白いということはあたりまえ
のことだった、ようだ。

 s-PC188215山茶花咲く12月.jpg

山茶花と椿の見分ける場合、椿は花ごと「ポトリ」おちるが、山茶花は花びらが「ハラハラ」と散り
落ちることでその違いが分かるといわれる。(椿の場合は「散り椿」と言い表わす)

高浜虚子の句に、「山茶花の 花や葉の上に 散り映えり」という歌がある。まさに山茶花の生態をう
まく捉えていると感じる。

 s-PC188227垣根の山茶花.jpg

山茶花といえばだれもが「山茶花山茶花咲いた道 たき火だたき火だ落ち葉焚き〜」の歌を 思い浮か
べるようだが、自分は「垣根の垣根の曲がり角〜」という一番の歌詞から、ずっと「山茶花の生垣」
を子供の頃からイメージしていた。なんと公会堂の垣根がまさに山茶花の生垣だった。更に竹の柵で
囲われている。やったね。理想のシチュエーション。

 s-PC188169冬紅葉.jpg

12月も残すところ二週間となり、正岡子規的分類では「終わりの冬」といえる時季。
奈良県知事公舎の西側、東大寺西大門のあたりの楓がまだ紅葉を残していた。写真を撮っている間に
も、さかんに風が葉を散す。もう一二日もすればすっかり裸木になってしまうだろう。
東大寺はこれから数ヶ月の間、色の無い時を過ごす。
posted by ハマー at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良公園周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

榊莫山法隆寺大寶蔵扁額

榊莫山氏が亡くなられてから二ヶ月以上たつが、09.7.16のブログ「榊莫山の大和路紀行」には毎日
のようにアクセスが続く。生前莫山氏が多くの人々に影響、感銘を与えていた (余韻である) ことが
よくわかる。

初めて莫山氏を知ったのは書店の本棚で「大和千年の路」を手にした時だった。昨年のことである。
それ以来莫山氏の著書を可能な限り拝読し「書」と「画」あるいは両者(自画自賛)の面白さを教え
ていただいた。
氏はいわゆる「文人画家」でもあったと思う。莫山氏がもし「墨画」を描いていなかったら、これほ
どの思いいれは持てなかったと思う。それ以上に莫山氏は「写真家」でもあった。そのことがより深
い共感を覚えるきっかけになった。

 s-PC168104法隆寺参道松並木.jpg
 

今年の10月3日に莫山氏逝去の報を知った時はショックだった。
私はしばしば東名阪を使って名古屋と奈良を往復しているが、伊賀ICを通過する度に莫山氏の自宅
を訪ねて見たいと思っていたのだ。が、それもかなわなかった。
もっとも訪問してお会いできるとは思っていなかったが、それでも偶然にお目にかかれるという機会
もあろうと淡い期待をしていたのだった。

 s-PC168108中門から南大門を望む.jpg

今日改めて、以前から気にかかっていた法隆寺大宝蔵院の扁額を見に(撮影しに)出かけた。

「大寶蔵」。独特な字だ。莫山氏は文字一字一字が持つ意味、謂れを考えて書かれていた。
どんな思いを込めて書かれたのだろうか。「大」という字、人が息せき切って宝の蔵に駆け込んでゆ
くように見える。それにしても、相変わらず、独創的なすざましい「字」を描かれる方だなー。
象形文字のようだ。

 s-PC168146大寶蔵扁額.jpg

『(法隆寺)南大門に立って、私は空の青いのに驚いた。そして青い空を眺めながら「空は青く、そし
て古く」と思った。松の彼方に五重塔がそびえている。 わたしは、和辻(哲郎の古寺巡礼)とはちが
って、体がへたへたと沈んでゆくように思った。全身の血がサーッとひいてゆくような気分に襲われ
た。』
と著書 「大和千年の路」百済観音の章に法隆寺の印象を書かれている。
実際、誰もが南大門を通して西院伽藍の中門、五重塔を初めて目にしたときには、言葉にならない感
動を覚えるようだ。強い衝撃を受けるのだ。

 s-P1080426法隆寺朝の南大門.jpg

莫山氏の文章は読みやすい。誰が読んでも分かるように簡潔平明に書かれている。

『・・・・そのうち私も仏になります。仏の国へ行くことでしょう。閻魔さんに名をかいてもらって、仏
の国の戸籍に加えてもらえば、あたりを見渡して、どんな仏様を探すのでしょう。 きっと私は、百
済観音さまを探すことでしょう。百済観音さまは、ひときわ細く、ひときわ背の高い仏さまですか
ら、すぐ見つかると思います。そこで、なんと申し上げるとよいのでしょうか。おそらく「わたし
も、鬼籍に入れてもらいましたので、このうえは百済観音さまのもとで、すごさせていただきたいの
です」と。いいかえれば、百済観音さまの親戚のはしくれにして下さい。と、とてもあつかましいお
願いですが、どうぞ聞き入れて下さい。お願いです。』

 これは百済観音堂(大宝蔵院)起工セレモニーの莫山氏の祝辞である。莫山氏、今は百済観音さまと
しみじみと暮らされていることでしょう。心から哀悼の意を表します。

『何日かがたった。日は覚えていない。高田管長さんと大野玄妙執事長(現、管長)さんが、やってこ
られて、私に「大寶蔵」の額の字をかけ、といわれた。わたしは、とても驚いて、さらにとても光栄
なこと、と思った。もちろん、喜んで、かかせてもらいます、と申し上げた。』

 s-PC168149莫山書大宝蔵.jpg

『中門には、わたしがかいた「大寶蔵」の扁額がかかっている。朱ぬりの軒に、赤い扁額。字は黒
い。見上げていると、まぶしさだけが降ってきた』
晴れがましかったのでしょうね。莫山氏の扁額をかく経緯が淡々と記されている。

大宝蔵院は、その朱塗りの正門ではなく左右の通用門(?)から入・退場させられるので、莫山氏がか
いたその扁額を目にする人は少ないだろう。そうと知らずに通り過ぎてしまうにちがいない。勿体な
いことである。

「大寶蔵」の文字を見つめていたら、嬉しくて仕方がない、破顔一笑莫山氏のお顔が浮かんで消え
た。
posted by ハマー at 12:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月09日

奈良坂から伊勢街道古道へ

奈良坂は奈良と京都の県境にある「ならやま」の丘陵を越える急坂で、京都方面から来ると「奈良
阪」と名づけられたバス停あたりまでずっと登り道が続く。
このバス停あたりから国道369号線の中ノ川交差点に至る尾根伝いに行く忘れられた古道がある。

この古道の存在に気づいたのは、先日撮影した「飯守山」を対面する山の上から撮ってみたいと考え
たことに始まる。

 s-PC087840飯守山朝色.jpg

その山の上には奈良市の緑ヶ丘浄水場がある。思ったよりも高い場所にあり、飯守山の背後に連なる
若草山頂上の「鶯塚」の石碑まで見通せる。
撮影後、山の紅葉に誘われて尾根伝いの道を東へ東へと進んで行くうちに、思いがけなく、石仏を、
しかも首の無い石仏を発見したのだ。「何故こんな山の中で?」。

 s-PC087948尾根道.jpg s-PC087863移ろい.jpg 

石仏以外に、多重石塔と墓標らしきものが見える。もっとも奈良では石仏や多重塔は珍しいものでは
ない。すぐ近くの般若寺には日本最大の多重石塔の十三重石塔がある。更にもう少し東に行けば、
岩船寺や浄瑠璃寺あたり「当尾の里」の野山には磨崖仏や石仏が溢れている。その一つであろうか。

 s-PC087878首なし石仏.jpg s-PC087870多重石塔.jpg

帰路、緑ヶ丘浄水場のフェンスの内に「太神宮左いがいせゑ」と彫られた大きな石の道標のあること
に気がついた。「そうか、つまりこの道は伊勢街道なのだ」。安永二年(1773年)の年号も見える。
地図を見ると、この尾根伝いのおよそ3km程度の山道は、奈良坂から国道369号に通じるちょっとし
た近道、バイパスなのだ。
これが、私の古道発見?の顛末である。

 s-PC098009道標浄水場.jpg

国道369号線は、般若寺交差点から佐保川に沿って東進する。きっと、川が増水した時などにはこの
尾根伝いの山道を使ったのだろう。
地元の人に聞くと、「自衛隊が夜間訓練のために通る」というほど急峻な尾根上に続く山中の道であ
る。午前中かけてこの道を往復したが、誰にも出会うことが無かった。忘れ去られた道である。
国道369号線は奈良市から三重県松阪市に至る距離121.1kmの道である。

 ※国道369号 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%81%93369%E5%8F%B7
posted by ハマー at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良公園周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月07日

「ならやま」初冬

「ならやま」は奈良と京都の県境付近を東西に延びる丘陵で、奇跡的にも市街地化を免れ部分的で
はあるが奈良時代の風景をうかがわせる手付かずの自然の残る一帯である。
県道44号線と国道24号線に挟まれた東西1.2q、南北0.8qの照葉樹林で、晩秋から初冬にかけて
の紅葉が美しい。
偶然にも昨年も同じ12月5日に「ならやま」を訪れている。昨年と比べて今年の紅葉は少し鮮やか
さに欠けるようだ。

 s-PC057633薄霜の田圃.jpg s-PC057648朝露光るひつじだ.jpg
 
8時少し前に県道から谷地田に下る農道に入る。昨夜の冷え込みで田圃は薄い霜に覆われているこ
とがわかる。気温は3℃くらいだろうか。氷が張るほどではない。霜が融けた朝露に朝陽があたり
キラキラと輝いている。草花も木々も一番綺麗に見える時間だ。

 s-PC057673仏の座.jpg s-PC057640夜露に濡れた秋菊.jpg  

雲ひとつ無い青空から降り注ぐ太陽光線に温められて、森は薄っすらと白いモヤに覆われる。幻想
的なひと時。このもやはいつも10分と続かない。急いで三脚を立て、カメラをセットする。
気ぜわしいけどワクワクとさせられるこの時間が好きだ。

 s-PC067801ならやま朝雑木林.jpg 

谷地田の尽きるところで、太陽の光を透かして真っ白に輝く穂波に出会った。背の高いカヤのよう
な植物だが、背が高くて立ち姿も明らかにススキとは違う。
それにしても、風になびく純白の穂の美しいことよ。
植物図鑑で調べてみると「荻」のようだ。

 s-PC0577086荻白穂.jpg 

「荻」という漢字は知っていたが、語源の草花がそれと知ったのは今日が始めてのことである。
農村部では昭和の始めごろまで茅葺屋根がよく見られたようだから、その頃までは「荻」がなんで
あるかだれもがよく知っていたに違いない。

 s-PC05772晩秋の飯守山.jpg

 一年間待ち焦がれた晩秋の「飯守山」を撮ることができた。
奈良在住の職業写真家井上博道氏の写真集で初めて見たとき、この山がいつも名古屋に帰る時に通
る国道369号般若寺近くのあの山であると思った。そして昨年その山を撮りに行ったとき、偶然に
その山の麓にある井上氏のオフィスを見て、あの写真の山が飯守山であることを確信したのだ。
昨年は訪れるのに二週間ほど遅かった。今年もすでに紅葉のピークは過ぎていたものの、夕日に染
まる茜色の飯守山を撮ることが出来たのだ。欲を言えば、空に渡り鳥でも入れられればと思ってい
たのだが・・・はるか上空を、一度ジェット機が通り過ぎただけだった。でも、大満足です。

「ならやま」は万葉集にたびたび登場し、「歌枕」にもなっている(らしい)。しかし「歌枕」とす
るならば、現代の歌人たちは「ならやま」の何処をたずねたら良いものやら。


〔参考〕
※オギ 山渓名前図鑑「野草の名前」によれば、『万葉集を始め、
奈良時代のほかの文献にも登場する。古くから屋根葺き材として知られていた草で、銀白色の花の集団
〔花序〕は馬の”尾”のように見えた。長く、太い茎が”木”に思えたのであろう。”尾の木”がオギに
なり、その後、中国で”荻”と書くことが知られて、オギに”荻”の漢字を当てた。』とある。Webの頁に
は「最近は放棄水田などに群生しているのを見かけることも多くなった」とも書いている。

※オギ【荻】岡山理科大学 総合情報学部 生物地球システム学科 植物生態研究室(波田研)のホーム
ページ
http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/monocotyledoneae/gramineae/ogi/ogi.htm
※平城山と記して「ならやま」と読ませる。JR関西線に「平城山」という駅があるが、地図に奈良山という
名前(行政地名)は無い。

※平城山 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E5%B1%B1%E4%B8%98%E9%99%B5

※万葉集の「ならやま」を詠んだ歌
奈良山の 嶺の黄葉 取れば散る 時雨の雨し 間なく降るらし
奈良山の 小松が末の うれむぞは 我が思ふ妹に 逢はずやみなむ
君にこひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ちなげくかも
いにしへも つまに恋ひつつ 越えしとふ 平城山の路に 涙落しぬ
posted by ハマー at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良公園周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月05日

初冬衾道 

久しぶりの奈良。町の東に聳える龍王山も、田畑もすっかり冬の景色に変わってしまっている。
長岳寺のある柳本町から隣の中山町の手白香皇女衾田陵までは1km足らずの道のりだが、写真を撮り
ながら往復に3時間以上かかってしまった。その季節が見せる景色にはまたそれぞれのものがあり、
ついつい時間を食ってしまうのだ。

 s-PC047573初冬の田圃.jpg

長岳寺の山門近く、道が二手に分かれるところに小さなお堂がある。木の間から漏れる朝日が小さな
石仏や墓標を照らし、いつもとは違う陰鬱な気配が漂う。すでに何ども撮っている場所だが、ハッと
させられる。

 s-PC047572長岳寺参道石仏群.jpg

足下の落ち葉は、一昨日の嵐で散ったハゼの葉だ。葉の並びに特徴がありとても分かりやすい。夏の
間はくすんだ緑でさして目立たないが、ウルシの仲間なのでその紅葉は一際鮮やか。
ハゼの木は奈良時代に日本に移入され、実から和ロウソクの油が取れるので全国に広がった樹木と聞
いている。

 s-PC047594菊花乱れ咲き.jpg 

田畑の間を抜けると山の辺の道は中山町の集落に至る。初冬のこの時季、農家の家まわりに菊の花を
よく目にする。この時季屋外に咲く花といえば、山茶花や南天、千両などの木花に限られてしまう
が、寒さのきびしい冬の間も咲き続ける菊は、仏花としてとても重宝する、欠かすことの出来ない花
なのだ。

 s-PC047597山茶花.jpg  s-PC047575カラスウリと小菊のリース.jpg 

山の辺の道沿いによく見かける野菜や果物を並べた無人の販売所で見かけたカラスウリを配したリー
ス。この赤い実は秋の野山でよく目にするが、咲いた花を見たことが無い。それもそのはず、日没後
に開花する
一夜花なのだそうだ。園芸植物ではないので、この先も見ることはかなわないだろう。
※ カラスウリの花 参考URL 草木図譜
http://aquiya.skr.jp/zukan/Trichosanthes_cucumeroides.html

 s-PC047588龍王山紅葉.jpg 

今日は手白香皇女衾田陵から見る龍王山の紅葉を撮影する目的だったが、晴天ではあるが寒気の影響
で薄く霧がかかったようになり、結局撮れなかった。里山の紅葉の見頃はすでに終わっている。龍王
山の紅葉、今年は無理かもしれない。

 s-PC047606衾道黄葉.jpg

 衾田陵からり帰り道、木立の間から見た稲の切り株が残る乾田がとても印象的だった。
刈り取った後の稲の切り株一面に、青々とした稲がふたたび生え出た田を「穭田(ひつじだ)」とい
い、俳句では晩秋の季語になる。
posted by ハマー at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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