2010年08月31日

山の辺の道「三輪から金屋」

山の辺の道「三輪から金屋」 

■木漏れ日
いまだ残暑が厳しいが、処暑を過ぎ日が短くなり夜明けの森はまるで雨が降った後のように
夜露に濡れる。
朝、夏の強烈な太陽が木々の葉に降りた夜露をたちまちに白い湯気に変える。
白い気体は薄っすらと朝早い森にただよい溢れ、森の深い木々の間から差し込む朝陽が木漏れ
日を見せてくれる。
三輪の杜で今朝見た光と霧のパフォーマンスにはなにか神秘的な印象を受けた。

 s-P8302646射光.jpg s-P8302655若宮社木漏れ日.jpg 

参道の少し離れたところから見る木漏れ日はスポットライトのように地面を照らし、森の光と
影を際立てまるで劇場の中にいるような錯覚を覚える。こんな光景はめったに見られるもので
はない。
太陽が高くなればもう同じかたちは見られない。僕は急いでシャッターを切り続けた。

 s-P8302667大神神社参道木漏れ日.jpg 

木漏れ日は英語ではsunbeams と記し、the sun streaming through the leaves of trees
という状況を表す。
Sunbeamsは日本語では太陽光線とでも訳せようか。日本語の木漏れ日とは随分感覚的に違いが
ある。日本語の豊かな語彙に驚かされる。
実は今朝見たこの光景を表す言葉が、もっと他の表現があるのではないかと考えている。
光裂とか、光条、光輝、光爆、光散、光漏、光飛、光花と辞書を引いてみたが光輝以外、その
ような熟語はなかった。

Wikipediaを見ると木漏れ日は「森林などの木立から太陽の日差しが漏れる光景のこと」と書
かれているが、語感としては何か心地よい柔らかな能動的な太陽の光を表しているように思える。
直接にその光点を見た時の言葉はないものか。光華、光彩という熟語があった。自分の感覚とし
ては「光華」という言葉が一番近いような気がする。
明治時代の初め頃、日本の作家や学者、文化人たちは「新造語」といって新しい言葉を必死に
作っていたという。そうしてみると、「木漏れ日」は日本の言葉文化であり、それに変るよう
な外国語はなかったということなのだろう。

 s-P8302714小林秀雄山邊道標.jpg s-P8302710山の辺の道・平等寺付近.jpg

■小林秀雄氏「山邊道」石標
写真家入江泰吉氏の「蒼古の色濃き玄日庵への道」の写真で印象的な「山邊道」石標だが、その
小林秀雄氏の筆になるこの石標が他にも二ヶ所置かれていることはあまり知られていない。
そのうちの一つが、三輪・平等寺と金屋・喜多美術館の間の林の入り口にある。
しかし、フェンス横の味気ない場所であることに加え、道に平行に置かれているため、印象が薄く、
見ても見ぬ振り状態にある。つまり、絵にならないのだ。
道そのものは山の辺の道にしては珍しい美しい杉の原生林の中にあり、なかなかイケテルのだが。
この日はその石標に木漏れ日があたり、とてもポエジーで美しかった。けっこう絵になっている
のだ。
桜井市観光課にお願いしたい。石標の向きを90°右に回して、道行く人に良く見えるように植え
直してくださいませんか。

 s-P8302742ムクゲ・金屋喜多邸.jpg s-P8302762借りぐらしの道元.jpg
 金屋喜多氏屋敷沿いの白壁                  借り暮らしの・・・道元?
■平等寺〜金屋
大三輪神社から金屋に至る山の辺の道の見所としては、平等寺と金屋石仏、海榴市観音堂
(休憩所)の他は見るべきものがない。金屋石仏の向いに途中「喜多美術館」があるがこちら
は入場料1000円の設定で、来場者数を制限しているようだ。もっとも山の辺の道は「道」
そのものが主役であり、個人収蔵コレクションであり小品のうえテーマに纏りの無い私設
美術館は無理して見ることもない。それでもオーナーのお屋敷は立派で、白壁に趣がある。
壁沿いに小さな花壇があり、今は、夏の花ムクゲが見頃だ。

posted by ハマー at 16:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月30日

大神神社大鳥居夜明け前

先週の月曜日(8/23)、通りがかりにたまたま見た大神神社のライトアップされた大鳥居の色がなんと白色だったことにショック
を受けて、改めて確認しに出かけた。ついでに夜明けの様子も撮ろうと思っていたのだが。
現地についてビックリ。なんとライトアップされていなかったのだ。

 s-P8302555大神神社大鳥居夜明前.jpg

午前四時半、空はまだまだ暗い。星が綺麗だ。僅かな月の明かりを受けて何とかそのシルエットはわかる。
がほとんど闇夜に溶け込んでしまっている。
今日の月は、月齢20.0、更待月(ふけまちづき)。ほぼ半月の形状で30w電球程度の明るさ。
鳥居の色も判然としないが、それでも「白」ではないように思える。

 s-P8302576三輪明神石灯籠.jpg

大鳥居の脚下にそれぞれ石造りの常夜灯がある。こちらは夜通し明かりを灯しているようだ。高さは5m以上あると思う。
鳥居の方は高さ日本一、二を争う大きさだが、灯篭のほうはバランス考えてか小さくしたようだ。
夜明けまでの時間を利用して、こちらを撮影する。すぐ前が国道なので、自由にポジションを選べない。
三輪明神の字が見えるようにストロボを使う。

※日の出後見た大神神社の大鳥居の色はこげ茶色のような色で、夜間のライトアップの光源の色のせいで白色に見えているだけと思う。
材質は耐候性鋼板で、表面は錆色をしている。
※自然石をつかった石灯籠の日本一は滋賀県甲賀市にある「横田の渡し大常夜灯」。港の常夜灯としては鞆の浦にあるものが日本一の高さで、11mある。

posted by ハマー at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

傷つけられた飾り馬

大和川の飾り馬
8月23日、桜井市の金屋地区を流れる大和川河川敷に設置されている「飾り馬」を夜の時間に
とってみようと思い立ち訪れる。
この日は月齢13.0、十三夜でほぼ満月。
日入18.36、月出17.38。太陽が沈む前、日の明るいうちに月が出るので、多分月出は見られ
ないかもしれない。
実際、月を視認できたのは18.26だった。

 s-P8232445飾り馬夜.jpg

今回は灰色(芦毛)の飾り馬を撮ることとなった。
というのは、列の先頭の薄茶色(栗毛)の飾り馬が、多分花火と思うが、鼻面と両目を焼かれ
負傷しているのだ。なんと惨いことをされたのだろう。前回ここで写真を撮った7月31日には
無傷だったのに。
悪戯とは思うがとても悲しくつらいことだ。

 s-P8232393傷付けられた飾り馬.jpg

 夜飾り馬を撮ろうと考えた理由は、日の明るいうちに撮ると、どうしても遊園地のお馬さん
のようにしか見えないからだ。
1500年も前の出来事に登場する「馬」というものを、何とかそれらしく見せられないかと考え、
たどり着いたのが闇の中に浮かびあがる「飾り馬」なのだ。

大三輪神社大鳥居の色
金屋からの帰路、国道169号線で大三輪神社の大鳥居の前を通過した時、なにか違和感を覚えた。
どうも大鳥居の色が
これまでと違うようなのだ。たしか媚茶というかセピア色に近い色だったと記憶している。
それが今夜見た大鳥居は「白色」に見えるのだ。
昼間に改めて見てみないことには分からないが、ことによると夜は白く見える塗料を使っている
のかも知れない。それにしても今夜の大鳥居は一種異様な雰囲気をかもし出している。
この大鳥居は昭和61(1986)年5月に竣工した意外にも新しいモノで、高さ32.2m、柱間23mもあ
る巨大な鳥居だ。
平成12(2000)年和歌山県田辺市の大斎原(おおゆのはら)に高さ33.4mの鳥居が出来るまでは日本
一の大鳥居だった(らしい)。
ちなみに3位は新潟県弥彦神社で30mの高さになる。

 s-P8232482大神神社大鳥居十三夜.jpg

大神神社公式サイト
http://www.oomiwa.or.jp/

日本一の大鳥居 大斎原(おおゆのはら)
http://www.geocities.jp/tanuyo2/torii.html
posted by ハマー at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 山の辺の道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

奈良古市「穴栗神社」

山の辺の道周辺にはほんとうに神社が多い。一つの町に一社あるのではないかとさえ思える程だ。
バス停の名称にもなっている「穴栗神社」は、奈良市のほぼ南端、天理市との市境に位置する。
この神社は日本書紀の景行紀55年(西暦126年) に春日穴咋邑としての地名が見られる。
神社の創建時期はわからないが、神代の時代に存在していたと考えてもよいだろう。

 s-P8132212穴栗神社参道から境内.jpg s-P8132186穴栗神社拝殿.jpg

「石の上 布留を過ぎて こも枕 高橋過ぎ 物さはに 大宅過ぎ はるひの 春日を過ぎ 〜 
泣きそぼち行くも 影媛あわれ」

 この歌は『日本書紀』に伝えられる山の辺の道にまつわる悲しい物語のヒロイン、影姫を詠ん
だエレジーである。
山の辺の道は、天理市から奈良まで、すなわち北半分がわかりにくいが、これを説明する珍しい
歌として今に伝わる。
この大宅(おおやけ)という地名が現在の奈良市古市町にあたる。
この辺り一帯は「古市古墳群」という古墳の点在する地域だが、宅地化が進みその遺跡も見る
影は無い(ようだ)。

 s-P8132233古市町田圃青垣.jpg

 それでも国道169号と県道188号に挟まれたこの古市町あたりは今も一面水田が広がり、大和の
青垣を一望にすることができる、希少なポイントとして残る。
夏の時季は緑一色でメリハリがないものの、秋から冬にかけては、田圃の稲穂は黄金色に染まり、
山も少しづつ黄や赤に色づき豊かな田園風景を見せてくれると思う。

現在の山の辺の道は山麓のゴルフ場の周りから旧陸軍墓地を抜け奈良護国神社を通る東海自然
歩道のコースを踏襲するが、古墳時代は穴栗神社のすぐ東あたりを経由していたと十分推測される。

※HP 穴栗神社 「大和の神々 神奈備へようこそ」
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/akuri.htm
posted by ハマー at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良市南郊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。