2010年03月31日

當麻寺中之坊のしだれ桜

例年ならばすでに見ごろを過ぎているはずの當麻寺「中之坊」のしだれ桜、このところの気温の
低さのお陰で、「いまだ散ることなく美しいな姿を保っている」と、TVニュースが伝えていた。
懐かしさと桜見たさで、行ってみた。
 

 中之坊の枝垂と東塔.jpg   


「奈良の寺」に取りつかれた始まりは當麻寺だった。東塔、西塔二基の三重塔に魅せられていた
のだと思う。休日になると毎週のように當麻寺に通った。だけど結局、納得の行く写真を撮るこ
とはできなかった。
まとまりの無い堂塔伽藍の配置に加え、自然との調和に欠ける、何か乾いた情緒のない境内。
個々の建物は立派なのだが、統一された「全体美」がないのだ(感じられなかった)。
自分の感性でもって当麻寺を撮ることが、結局、出来なかった。その時は。


 麻呂子山を背に聳える東塔.jpg 中之坊しだれ桜と東塔.jpg


今日の当麻寺、満開の「山桜」が境内を明るく飾る。午後遅くの入山だったので、写真には不向
きな光具合だったが、桜はほんとうに見事だった。
相変わらず境内は雑然として絵になりにくいが。しかし、この時季、雨の日や、夜明け前後の時間
ならばいい感じに撮れるかも知れない、と思った。


 満開の夕桜.jpg


当麻寺中之坊は最低最悪の接待だった。山門に控える受付嬢、読みかけの文庫本から目を離せず、
いかにも面倒くさそうな機嫌の悪い対応。
誰に何を聞かれても、上の空。入山料500円を受け取ると、もう知らん振り。
なんと愚かで情けないことよ。これが当麻寺の現実なのだ。


 麻呂子山の日没.jpg


 麻呂子山に沈む夕日。情けなく憂鬱な自分の心を映してしまったようだ。


 
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2010年03月30日

内山永久寺跡「池に桜を植えた人たちのことなど」

もうすぐ四月になろうというのに奈良の春は足踏みしたままなかなか先に行かない。
今日は時折ミゾレに雪の舞う冷たい一日だった。
それでも桜木は少しずつ蕾を開き、枝を飾る。
さきおととい見た時よりも随分明るくはなやかになっている。
命は留まることなく着実に時を刻み続ける。


 冷たい春の桜.jpg
 

内山永久寺跡に残る池は「本堂池」と呼ばれるが、古地図を探すと別名もある。
京都・醍醐寺に残る「永久寺伽藍図」には「大亀池」と記されている。
丁度畑の手入れに来ていた土地の人の話によると、『池の中に突き出た亀島には以前「亀石」と
いう大きな岩があった。今は、池に崩れ落ちて見えなくなってしまいましたが』という。
大亀池の由来がこれでわかったということだ。

※ 国土地理院発行の地図には「木堂池」と記載されているのは、木堂町(きどうちょう)というこの町の
名前を取ったのか、あるいは単なる誤植だろう。


 
 記念の桜.jpg


『今は農業用のため池として使っているけど、この池は永久寺の「うち池」だったのですよ。
池の周りの桜、昔はありませんでした。以前この村の青年団が解散する時に、記念に桜の苗木を
植樹しました。自分が十六歳の時だったから、私は66歳だから、ちょうど五十年になるね。』
今や山の辺の道の春を飾る内山永久寺の桜は、実は地元の有志がかつて50年前に植樹したもの
だったのだ。


 土手の一番桜.jpg  青年団植樹記念碑.jpg
 

池の北西角に『内山やとさましらずの花さかり』と彫られた、芭蕉句碑がある。
松尾芭蕉(1644〜1694)が江戸に上がる前に読んだ句といわれる。
江戸時代初頭に、内山永久寺が桜の名所として知られていたことを示すものであるが、地元の
青年団はこの芭蕉の俳句を知った上で、意識して植樹したのであろう。


 芭蕉句碑.jpg  水面に映る桜花.jpg 

  

五十年が過ぎた今、内山永久寺の何たるかは知らなくても、奈良「山の辺の道」の名所として、
また松尾芭蕉歌枕の地として内山永久寺跡が後世の人々に愛されるきっかけになったことは間違
いない。


 樹齢50年天に聳える.jpg  池畔をめぐる山の辺の道.jpg


青年団は無くなったが、今でも地元の方々が、池の堤の草刈、清掃、桜樹の消毒をされている。
『ソメイヨシノは虫にやられやすいから』と言う。確かに二三本の桜が立ち枯れていた。
ソメイヨシノの寿命は六十年程度と短い。日本人の平均寿命よりかなり短い。この池の桜の余命は
残すところ10年程度。 さて、次世代の桜は誰が育てるのか、気になるところである。


 花の宇宙をうつす.jpg

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2010年03月29日

伝香寺「もののふ椿」

伝香寺は奈良町の西、やすらぎの道沿いにある。筒井家の菩提寺というよりも、奈良の三名椿の
ひとつ「武士椿」が有名。モノノフツバキと読む。
命名の謂れは「色鮮やかなときに一枚いちまいと花びらを散らす、この散り際の潔さを、若くし
て没した筒井順慶を弔う意味をこめ、いつしかモノノフツバキの名になった」と伝えられている。


 散椿として.jpg 


とにかく花つきが良く勢いのある椿だ。
本堂の南東角の日当たりのよい場所に植えられているからだろう、蕾が次々とあがり、花開き、
散り、花開き、散る。泉の溢れる如く命が湧く、そんな印象を持つ。


 武士椿と地蔵仏.jpg 


樹齢は五十年になる。現在の木は三代目。
突然変異種なので、実生で育った子孫は散椿にはならない。それで、もっぱら接木で代を重ねる。
たぶん山茶花との交雑種か、原種の性質が顕れたのだろう。見た目も山茶花によく似る。


 蕾花に覆われる.jpg


今朝は開門の20分前に伝香寺に着いた。
券売所の男性が準備をしながらも、花のこと、寺のこと、筒井家のことを教えてくれた。
「洞ヶ峠を決め込む」と日和見の代名詞として知られ一般的には評判のよくない筒井順慶だが、
奈良県においては「おらが国の殿様」と尊崇されているという。
近年奈良県では「筒井順慶は日和見していない」運動が展開されているという。


 表門の手水鉢.jpg 


伝香寺は、筒井筒井順慶が36歳で没したとき、母親の芳秀尼が菩提寺として復興した寺で、その
時に筒井家にあった最愛の椿を献花として植栽したものと伝わる。
この一本の椿樹は筒井順慶と母親の愛を美しい花とともに今に伝える。


 はだか地蔵.jpg

平城遷都1300年祭イベントのひとつ「祈りの回廊」に協賛して、伝香寺の秘仏「地蔵菩薩立像」
が開帳されている。しかも写真撮影OKである。なんとおおらかなありがたい御住職であろう。

 
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2010年03月28日

山桜燃える山の辺の道

初めて「桜」をイメージとして記憶したのは、小学校の入学式の時に見た桜だった。
校門から校舎までの路に咲く桜色の塊を思い出すことができる。今思えばあれは、八重桜だったと
思う。濃い桜色だった。


 山桜聳える.jpg


「山桜」の花を見て、その分類名を知ったのはそれよりかなり遅く、20代後半だった。
家の近く自然公園の雑木林を奥深く分け入ったところに、白い花の、それまでに見たことの無い
桜の巨木だった。雄々しくも気高く天に向かって聳え立つその姿にしばし呆然と見とれていたこと
を覚えている。
 『もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし』
万葉人が、山奥に人知れず咲くその孤高の姿にあわれを感じる心情は、今を生きる日本人の心の
奥深くにも宿り、共鳴する。


 木堂町山桜咲く農家.jpg


内山永久寺に向う山の辺の道から、遠くに朝陽を受けて鮮やかに輝く山桜を見た。石上神宮の森の
はずれ木堂町にある農家の裏山に、見事な山桜が炎柱みたいに燃え立っていた。
満開の花とそれを縁取る濃い若葉の朱色が、竹林の緑を背景にくっきりと浮き出る。
 『桜色に 衣はふかく染めて着む 花の散りなん 後の形見に 』
紀有朋(きのありとも)の詠んだ歌だが、自分もこの山桜を忘れるわけにはいかない。
 「桜色に ファインダー 染め映る 花にこがれる 君に見せなん」
 

山桜.jpg


『樹齢? 自分が子供の頃には咲いていなかったね。』六十代とおぼしき農家のご主人が言う。
「そうすると50年くらいでしょうか?」
『・・・・・・』

この桜木、樹高15mから20mくらいはあると思う。樹齢の長短でその木の価値を決めるものではない
が、それにしても立派な山桜なのだ。
もし、この時季に、晴れた日の朝にあの道を通らなかったら、生涯二度とこの山桜を見ることは
無かったに違いない。
風景との出会いも一期一会と思うと、一歩一歩の道のりはけっして疎かに出来ない。
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2010年03月27日

内山永久寺跡宝蔵池畔の桜

石上神宮を後にして山の辺の道を南に進むとすぐに宝蔵池はある。池畔に立ち、明治維新の廃仏
運動により消滅してしまって今は跡形ない内山永久寺の大伽藍を偲ぼうにも、この池と記念碑以
外はこれといったモノは無い。僅かな耕地と雑草の茂る山裾が広がるだけ。

 
 桜水面に届く.jpg



しかし桜の咲く頃、休日は朝早くから写真を撮りに多くの人が訪れる。
この池は、「奈良の花の名所」に数えられる景勝地なのだ。特に花の散り初めの時には花見の観
光客やカメラマンたちで大変な混雑になると、この池の管理人の男性が教えてくれた。


 池畔の桜.jpg
 

 

3月20日に奈良気象台は開花宣言を出しものの、その後の真冬並みの寒さに戻った天気の影響で、
一週たった26日も桜は一分から三分咲き程度に留まっている
しかし、今日ここで出会った人たちは皆、「満開の桜は豪華だが、蕾も花も見られる間の方が
いいね」と言っていた。
確かに、開花宣言後数日しか立っていない桜木の、蕾の滲むような濃いピンクと、開いた花び
らの淡い桜色の配色には、着物をまとった大人の女性のしっとりとした色香を感じる。


 一番に咲く.jpg

 

※古地図を見るとこの池の中には「宝蔵」の文字が見える。当時、池に名前はあったと思うが、
定かではない。本道前にあるから「本堂池」とする案内書もあるが、自分には「宝蔵池」の方が
しっくり来る。


 池に写る花影.jpg


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2010年03月22日

白豪寺の椿

 高円山の中腹に位置する白豪寺からは若草山、興福寺の五重塔をはじめ、奈良の市街地から金剛・
葛城の山並までを一望することが出来る(この日黄砂の影響で視界はなはだ不良)

この寺はかつて、天智天皇の第七皇子、志貴皇子(しきのみこ 668〜716年)の山荘(別荘)であった
という寺伝もある。しかし、皇子存命中は、平城京はいまだ建設途上であり、天智天皇ゆかりの
興福寺(山階寺)にはまだ五重塔も創建されておらず、山荘からはただ奈良盆地の荒野を見ることが
出来たに過ぎない。私たちが今見るパノラマの方が格段に優れていると思う


 大椿百豪寺.jpg 


白豪寺は今、境内を取り囲む常緑樹の黒く高い壁に絵筆で描き散らしたような藪椿の小さな花の赤い
点々が鈍く光る。志貴皇子もこの薮椿は見ているはずだ。
春の空をカラフルに覆う「白豪寺大椿」や落ち椿で有名な「五色椿」は盛期にまだ少し早い。


 天空五色椿.jpg



去年4月12日、新聞の記事・写真を見て白豪寺に五色椿の写真を撮りに来たことがあった。
あの頃はまだ写真を、考えて撮るということは無く、お手本どおりに撮ったと思う。シャッターこそ
数多く切っているが、見直してみると、今ひとつ散漫だ。どうもピンとこない。
五色椿、今年は、花まつりの4月8日が見ごろという。今度はもっと自分なりに撮りたい。雨の日も
いいかもね。


 五色椿.jpg
 09.04.12撮影 名樹「五色椿」


 白豪寺は花の寺と言われるだけあって四季を通して花の絶えることがない。しかし境内に散らばる
石仏も見逃せない。枝から落ちた赤い椿の花がふたつ三つ、胸像になった地蔵仏を慰める。これもま
たこの季節ならではの、一枚の絵。

 胴なし地蔵.jpg
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2010年03月21日

椿の春・柳生街道「滝坂道」

梅に桜、木蓮そして椿の花が咲き競う高畑町の町並みを抜けて、旅籠長谷川を行過ぎたあたりから
旧柳生街道「滝坂の道」は始まる。舗装された細道は突然春日山原始林の薄暗い山道に変る。
高円山と花山(春日山)の間を流れる能登川に沿って通る「滝坂の道」は、まさに滝と坂の造る道。


 右龍坂.jpg 落椿陽春の林.jpg
 


奈良の町と柳生の里を結ぶこの道は、高畑町の石標から途中休憩所のある首切り地蔵まで登坂が続く。
勾配度15%の「激坂」のうえ凸凹の石畳やぬかるむ悪路続きなので、行き来するのにはかなり辛い
道となる。


 滝坂の道.jpg 二連滝.jpg




今日は「滝坂の道」に原種の椿を見つけに来た。坂道をしばら行くと、足元の石畳に落ち椿がひとつ、
ふたつと目に付く。ほとんど人の手の入らない春日山の原始林では椿もその他の木と容易に見分け
ることが難しい。


 石畳落椿.jpg 水温む豆蔦紅椿.jpg



椿の花は鹿の大好物なので、木は、鹿も近づけない岩の上や、川を挟んだ急峻な山の斜面に自生する。
群生するということは無い。冬に落ちた椿の実から生まれる苗も鹿に食べられてしまうのだろう。
落ち椿の赤い花も、鹿が夜の内にきれいに食べてくれるから、注意して見ないと、見つけられない。
それでも、今は椿の最盛期。落ち椿を撮っている間にも、花は、次々と落ちてくる。樹高10m以上の
ヒョロリト伸びた高いたかい木枝から、風も無いのに落ちてくる。ヒヨドリの鋭い鳴き声が響く。


 滝坂飾る落椿.jpg


川の流れに、赤い花が勢いよく運ばれて行くのを見た。この時季、流れは赤い椿の花に点々と飾り
縁どられる。


 流椿.jpg


※激坂についての考察
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sy-baba/kousatu.html#dorekurai
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2010年03月19日

円照寺「落ち椿」自画他賛

 
落椿のこと

山村御殿とも呼ばれる円照寺ははじめ京都修学院に創建されただけあって、奈良の寺院にはあまり
見られない風雅なたたずまいを誇る。山門をくぐったところの外庭には四季を彩る花木が植栽され
ている。この時季は赤、白、薄紅の椿が綺麗だ。


 蕾花開く.jpg


花時の椿は、まだ固い蕾、色づいた花蕾、咲きはじめ、黄色の蕊(しべ)を見せる満開の時までまる
で「花の生涯」の如く一度に見せてくれる。それはそれで見事な景色ではあるが、そのままの姿、
形で落花散乱した「落ち椿」に、強い哀感を感じる。


 円照寺落椿.jpg


「落椿そのまま寺の景をなす」(加納花子)
「落椿丸く掃き置く尼の寺」(三間菜々江)
「散りて知る意外に多き落ち椿」(並木重助)


 落椿の午後.jpg


「落ち椿」を詠んだ俳句は巷数多くあるが、上の三句を円照寺落椿の賛としてお借りしました。
写真を撮っている時の気持ちによく共振するので。


円照寺の竹林

 太師堂への細道.jpg 


 広大な円照寺の寺領はほとんどが竹の林に覆われている。この境内に入ると外界の騒音は全く
届かない。竹を渡る風の音、鳥のさえずりの他は何も聞こえない。ただ清浄な空気に包まれてい
る。今日は道標に誘われて、森の奥へと続く道を進んでみた。三叉路に「無縁仏法界塔」と記され
た仏塔があった。古墳の森の奥、まさに無縁のハイカーあるいは獣以外通らないようなこの道に
幾数十の無縁仏が眠る。


 雑木林の無縁仏.jpg 



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2010年03月17日

東大寺の緋寒桜が美しい

東大寺境内にある子安神社の脇に緋寒桜が独り鮮やかに咲いていた。強い風に煽られて視界を遮る
ワイパーのように枝を振らしている。先発の梅花をリリーフしたこの桜、染井吉野が登板するま
での間、道行く人の目を楽しませてくれる。


 緋寒桜震える.jpg


今日は午後から寒気が流れ込み、抜けるような青空に少しずつ「もや」が広がり始めた。こんな夕
暮れには綺麗な日没の景色が見られるはずだ。


 かすむ興福寺五重塔と北円堂.jpg
 かすむ興福寺五重塔と南円堂


6時少し前に、夕日は期待通りに生駒山の向こうにゆっくりと沈んで行った。いったいこれまでに
何度、日の入りを見ただろう。いつ見ても、なにかモノ寂しいものだ。
もっとも若い頃は、日が沈むにつれ、赤提灯が恋しくて変に気力が湧いてきたものだったけどね。


 生駒山に沈む夕日.jpg
 二月堂から大仏殿、生駒山を望む 


二月堂で沈む夕日を見た後、手向山八幡宮を下りていったら、大鳥居の中に大仏殿の中門がキレイ
に収まった景色があった。歩道の石畳には恋人たちのシルエットが。やっぱりサビシーイ。


 大仏殿前の石畳.jpg
 

今日3月16日は我が妻の誕生日だ。こんな時間まで君をほったらかして、朝から一人で写真に入
れ込んでいて「ゴメン、ゴメン」。真直ぐに帰るから。
posted by ハマー at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 東大寺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

山の辺の道に椿を探して A

石上神宮の拝殿を囲む連子窓の垣根の向こうに、高さ10m以上もある藪椿が小さな筒型の赤い花を
無数につけている。写真を撮っていた短い間にもひっきりなしに枝を離れて落ちる花のたてる音が
響く。「トゥン」 「トゥン」  銅板葺きの屋根に落ちて跳ねる。
椿はほんとうに花期が長く11月頃から蕾が開き始め4月中旬まで次々と開花、そして散る。

神社には藪椿がよく似合う。花びらが痛んで見苦しくなるのを嫌ってさっさと自を切り離すところ
は、清浄を大切にする神社にふさわしい。


 垣根の屋根に落ち椿.jpg



古代人は「椿」の花よりも常緑樹の葉に神聖なものを感じていた。いわゆる緑樹崇拝で冬になって
も葉の落ちないのは、その木に魔力があると信じていたから。椿は神木として、神聖と繁栄を象徴
するものであり、吉祥の木として幅広く用いられている。また呪力や魔力のある植物として、迎春
には正月の花として、縁結びの目出度い木として、有史以来最も身近に日常生活に密着し、特に奈
良や京都の神社では椿杖祭事などを始め年中行事に深く関わり温存されている。


 銅版葺きの屋根の落椿.jpg



椿の写真を撮りたいと考えたのは、椿の花木全体を撮った写真になかなかお目にかかれないからだ。
絵画でも全体を描いた絵は多く無いと思う。
自分が思い描く「椿」のイメージは、日陰にひっそりとたたずむ、ツルッとした薄色の木肌をの幹
と、濃い緑の葉、そして赤い花。自然の中に、そのような姿をした椿樹にはなかなかお目にかかれ
ない。あったとしても竹や、常緑の大きな木の陰に隠れて咲くような具合で、未だ「これだ」とい
う木に遭遇できていない。

出来ることならば奈良大和の地、願わくは山の辺の道にそんな椿を見つけたい。そして、自分の
「椿」を撮りたいと思っている。


 笹に止まる落椿.jpg


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2010年03月15日

山の辺の道に「椿」を探して(1)

「椿」は春の訪れを知らせる木。春に咲く梅や桜にくらべて花木としての華やかさには負けるものの、
椿には物言わぬ神秘的な気配が漂う。
緋色というのだろうかあの濃い赤色と、深緑色の艶々とした厚い葉を見る時、思考の深みに吸い込ま
れるように感じる。
花言葉は「控えめ」「慎み深い」。赤い椿は「高潔な理性」、白い椿は「控えめな愛」だという。
なんだか素直に納得できる。


 三月堂の崖に咲く椿.jpg 



椿は日本原産の花でヤブツバキが原種。山の辺の道では石上神宮から夜都伎神社の間の山道で良く
目にする。竹やぶの縁や高木の下など半日陰のところで咲く。赤い花が咲く時季以外ではつい見過ご
してしまうだろう。
「控えめ」というのはこういう植生から来ているのかもしれない。


 山の辺の道「藪椿」.jpg   


寺や神社では必ず言ってもよいほど目にするのは、神木、霊木といった宗教上の理由や、公卿、僧侶
の間に流行した茶道、華道の影響もある。が、それ以上に「椿油を採るということに拠るところが
大きい。
奈良元興寺の古い伽藍図には椿園があり「椿樹数株採実為油」と記されているという。旧椿園は
元興寺極楽坊に近くにある「花園町」の地名が往時を物語っている。かつて椿は日本各地で採油を
目的としてもっともっと栽培されていたはずだ。


 天理市木堂町農家の椿.jpg  


「椿」を描いた絵画の歴史を見ると、「梅」にはついて中国から描法が伝わったので日本でも特に
山水画に多く残っているが、「椿」は日本原産の花木であったために中国で描かれることはなく、
日本では江戸時代以降にポピュラーになったという。好きな絵画として速水御舟の「名樹散椿」と
川合玉堂「椿花小禽図」がある。しかし、木全体を描いた絵は少ないようだ。花鳥図や、枝に数輪
の花という構図が多い。絵画のせかいでも椿は控えめのようだ。


 奈良公園の椿.jpg 
 
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2010年03月13日

東大寺二月堂 お水取りの朝

二月堂登廊下 3月12日午前9時

 ちょろ松明.jpg 
  「ちょろ松明」は練行衆が上堂するときに童子が先導するのに使われる


この朝二月堂境内はなにか異様な雰囲気に包まれていた。大きなTVカメラを持った複数の報道関係
者が目に付く。会場の施設を補強したり、新たに柵を設置したりする工事関係者。参籠所と食堂の
間を、水桶を手に行き来する、また篭松明を準備する童子と呼ばれる男たち、白い着物を着た練行
衆、紫色や芥子色の袈裟の僧侶、一般参拝者などで溢れ返っている。皆黙々と、声を上げることも
無く、仕事をこなしている。いつもならこの時間の二月堂は、一日で一番人の少ない静かな時間な
のに。


 篭松明.jpg
 食堂の軒下に飾られた篭松明


昨晩、修二会の上堂松明を観た後、食堂の外壁に飾られた「篭松明」を見たのだが、お松明が終わった
混雑の中では、写真を撮ることも出来なかった。翌日の今日の朝、改めて参拝したのだが。


 食堂前篭松明.jpg  篭松明A.jpg
  「篭松明」はお水取りの日だけに使われる別あつらえの大松明
 竹は全長約8m直径10p重さ8sある 


今日はお水取りが行われる、修二会のスケジュールの内でクライマックスの日。なんと三万人近い
見物人が押しかけるという、特別な日なのだ。関係者の気持ちもヒートアップしているに違いない。


一種物々しい雰囲気の中、目当ての「篭松明」の写真を撮る。三脚は使えない。もともと二月堂境内
は三脚使用禁止だが、いつもは使っていても何も言われることは無い。つい、いつものように三脚を
立てて撮り始めたら、若手の童子から、即刻に注意された。いまいましそうに怒った顔をしていた。


 大松明が舞台を走る.jpg  火の粉落とす.jpg
 3月11日修二会大松明が走る、回る 


お水取りで知られる修二会は、東大寺の行事の中でも最もパワー溢れる大掛かりなイベントのようだ。
二月堂、三月堂、四月堂界隈は静かな興奮というべく、異様な雰囲気に包まれていた。


《お水とりの詳細を知るHP》
※なら発見 ガイドと生活
http://tokyo.cool.ne.jp/nara_hakken/gyouji-moyoosi/omizutori.htm
※大和路写真帳 「お水取り」
http://www.lint.ne.jp/nomoto/PHOTOSALON/omizutori2007.html
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2010年03月11日

山の辺の道 紅梅

また雨の朝。春は、こんなにも雨降りの日が多かったかな。

雨の日には雨の日ならではの景色がある、とは言うものの、雨の日の撮影はつい
億劫になってしまう。
「雨寄晴好、晴好雨寄」と呪文を唱えながら家を出る。とにかく風景写真は外に出なくては
始まらないから。


満開薄紅梅.jpg



細かな雨が降り続く薄暗い景色の中で、薄紅梅が一際鮮やかな色を見せている。
花の写真は難しい。特に小さな花が厚く密集した塊となって咲く梅や桜は、どの花にピントを
合わせれば良いのか、見たときの印象を的確に再現できるのはどのフォーカスなのか。
一本の木をどう切り取るのか、周りを囲む風物との調和をどうするのか、迷う。
レンズを通すと、肉眼で見た時のようにその印象を簡単に再現できない。さらに、肉眼では
見えなかった細部が見えてくる。

写真を撮るということは、梅の木という対象と「渡り合う」、大げさに言えば「戦う」こと
だ。でも、なかなか勝てないのだ。自分の感性を出し尽くす。しかし出し尽くしても、なか
なか自分のものにはできない。根負けしてしまうことが多い。


 川原の菜の花.jpg


纒向川(まきむくがわ)の川原に黄色の菜の花が咲いていた。菜の花と言っても、「なたね」
ではない。野生化した野菜のようだ。名前はわからない。このあたりの放置された畑や、
野原でもよく見かける。とりあえず撮り始めたものの、梅との戦いの後、力が出ない。


 紅梅の小枝.jpg


井寺池近くの植木畑で、紅梅を撮る。庭木用として育てているので、かなり手を加えたかた
ちにされている。盆梅に近い。


 入江泰吉万葉歌碑と杉の木.jpg
 

檜原神社から車谷の集落へ向かう古道の途中に、写真家故入江泰吉氏揮毫による万葉歌碑
がある。去年の九月に撮った場所だが、今日は杉の木の裏側から、山の辺の道を見通す
ポジションに三脚を立てた。
足元に、シャガの葉が広がっていた。シャガは晩春四〜五月に青い花をつけるアヤメ科の
多年草。子供の頃住んでいた家の北側の庭に咲いていたので、葉を見ただけですぐにそれ
とわかる。シャガの青い花の咲く頃にまた必ず撮りに来なくてはならない。
 

今日の目的は、古道を車谷集落のすぐ北側にそびえ立つ裏山の山頂から撮るつもりだった。
しかし尾根伝いに登って行ったが、杉林に行く手を遮られ、道は途切れ、それ以上先に
進めず、目指す場所に行けない。


 新緑萌黄色.jpg


谷を隔てた山肌の木々は春を迎え、萌黄色の新芽に覆われている。二週間前はまだ、葉を落とし
箒みたいな姿だったのに、今日は新しい葉に覆われている。
山は、これからしばらくの間、まるでパッチワークみたいになるのだ。

 
 蕗のトウ.jpg
 

尾根道の行き止まりのところ北斜面に、山蕗(やまふき)の白い花が一面に広がっていた。
ミカンの木の下のそこだけにまとまって生えている。ということは茎を食用にするのだろ。
それにしても、これほど固まって咲くフキノトウを見たのは初めてのこと。
古道は撮れなかったけど、まっ、良かったとするか。

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2010年03月08日

梅花 雨上がり山の辺の道

夜通し降り続いた雨は明け方にはあがったようだ。景行天皇陵のすぐ横を行く山の辺の道の処
どころ、梅の木がかたまって咲いている。先月の終わり頃はまだ固い蕾だったのに、この頃の
暖かさで一気に花開いた。だけど、昨夜の雨と強い風が花びらを散らし、梢は精彩さを失い、
朝霧の流れる山並みに紛れるようにくすんでしまっている。もう二日間早かったならと惜しむ
気もするが、花の散り始めのしっとり落ち着いた景色もまた、これ無常
の色合い、趣き深きも
のと思い直す。


 梅けぶる道.jpg


薄紅梅の小枝に昨夜の雨の証と言わんばかりに、今にもこぼれそうな水玉を留めている。花を
彩るジュエリーみたいだ。「真理は一滴の水にも、草の露にも月の全体も全宇宙も宿る。」と
いう禅の教えがある。一滴の水とは、人間のこと。この言葉を知って以来、草葉にたかった一
滴の水玉に強く惹かれるようになった。でも、いまだにそこに真理を見ることも、悟りを得る
こともかなわない。


 梅の露.jpg


「梅は野にあっても山にあっても、小川のほとりにあっても荒磯の隅にあっても、ただそれ自
身の花が美しく清いというだけではなく、あたりの景色さへ趣のある姿に見せてくれる。」と
幸田露伴は言った。確かに、花咲く梅の木があるだけで、そのあたりの風景が暖かな景色に変る。
華やかに過ぎる桜や艶やかな紅葉の楓と比べたら、楚々とした小ぶりの花の、密集して咲く梅花
の様子は、四囲の景色を殺すことなく引き立てる、脇役としての上品な美しさを持つ。枯れ色の
乾田を背に咲く紅梅は、いともたやすく景色に馴染み一際優れた絵を見せてくれる。


 紅梅枯野.jpg
 


田の畦に植えられた梅の木。散る花びらが草葉に、細い流れの瀬に点々と浮かぶ。旧き大和の情
景を今この瞬間に想い浮かべることが出来る。
梅が散る。山の辺の道は、また一歩春のステップを速める。


 梅散る.jpg





 

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2010年03月04日

法輪寺の春

斑鳩の里、法輪寺の境内では今、マンサクと椿の花がきれい。

三重塔のすぐ脇には今、マンサクの花が夜空に散らばる星座みたいに輝いている。
マンサク(万咲く)は名前の由来どおり、小さな花を無数に咲かせる。中黄色のひも状の四枚の
花びらはまるで昆虫の触手のように見えて、初めてその異様な形を目にした時、それが「花」とは
とても思えなかった。
ただその「マンサク」がまるで人の名前のようで親しみを覚えたものだった。


 マンサクの花.jpg

 

花名の由来としてはもうひとつ「まず咲く」が東北地方で訛って「まんずさく(まずさく)」から
「まんさく」になったという説もある。東北地方のだれかが「まんさく」という名前を知ったとき
「まんず咲く花だべな」「うだら、まんさくというのだなし」と思い込み、定着したのではなかろうか。


 斑入り椿.jpg 


法輪寺には、桃色と斑入と赤色の花が咲く三本の椿の木がある。
法輪寺に限らず、寺の境内では必ずと言って良いほど椿の花を目にする。
これは、室町から鎌倉時代に公卿、僧侶、武士の間に茶の湯が流行し、椿が愛用されるように
なったことに関係があるようだ。


 落花がきれいな椿.jpg

 

古来「椿」は吉祥(おめでたい)花として扱われていた。また、花びらが散ることなく咲いたそのまま
の姿で落花する様子が「潔い」ということで、武士に広く受け入れられたという。
首が落ちるようで縁起が悪いと言われるようになったのは、江戸時代末期のこと。悪い風評は瞬く
間に喧伝され、広く定着することは今も昔も変らない?


 椿は日本固有の花木で、古事記や日本書紀にも登場する。また万葉集にも数首詠まれている。
「椿」の字は日本で作られた国字。この花が春一番に咲くことから「椿」の文字を与えられた。
春を告げる花木といえば「梅」の方がふさわしいと思うが、中国から日本に「梅」が持ち込まれた
のは弥生時代後期のことで、日本人の感覚としては「春=椿」という認識が先行していたのだろう。
※「椿」という漢字は中国にもあるから、これは国字ではなく日本独特の意味ということで、国訓と呼ぶ。3/13補筆

 法輪寺三重塔春梅.jpg  梅花の向こう三重塔.jpg


 
法輪寺のある三井の集落、農家の庭先の畑地に、見事に花を咲かせる大きな一本の梅の木がある。
三重塔を望見する場所にあり、写真好きの間ではよく知られている撮影ポイント。
写真家故入江泰吉氏の写真集「斑鳩の里」にも収められている。
この梅の木は去年の春偶然に見つけた。今年は、また違う撮りかたできたらいいなと考えて訪れた。
梅は去年と同じように咲いていた。しかし、農家は取り壊され、新たな改築が始まったばかりだった。
三井の集落は昨今、改築ブームのようだ。
 
しかし憂うべきは、斑鳩町には世界遺産の法隆寺や法起寺があるものの、街全体で遺産との調和を
図って維持して行こうという考えが無い。かつて、奈良町の建築物の文化的価値に気づかず消滅させ
てしまったように、斑鳩の里も無計画で雑駁な町になっている。
斑鳩町の為政者に、日本の歴史や身の回りの景観、文化財というものにもっと興味や関心を持って
もらえればなと、祈らざるを得ない。


 春の塔.jpg
早春の三重塔





 
posted by ハマー at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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