2010年01月31日

月を写すということ

月の写真を撮るようになったのは「花鳥風月」という言葉を意識するようになってからのこと。
日本人の自然観を表すモノのひとつとしてある「月」だが、自分は何故か懐かしく、引き込まれ
るようなそんな抱擁力というか、安らぎを覚える。それは、月の引力がなせることなのだろうか。


 s-飛火野月覗く.jpg
春日山に灯る十五夜の月 09.12.02 17:16 


松岡正剛氏の著書「花鳥風月の科学」の中にとても興味深い言葉がある。
『私は月は「ほか」そのものであると言いました。それは、かつて古代人が「山」や「風」に感じ
てきた「むこう」(thear)というものと同質です。それなら、月と何かでやっと一対になるという
「間に合う勘定」というものがあるはずなのです。われわれは、そういう”月的な相手”というも
のを探している旅人です。結局、花鳥風月とは「片方」を求めて「境」を感じる世界なのです。』


 s-東大寺松林の三日月.jpg
東大寺西塔跡から見る三日月 09.10.21 17:41 

難しい言葉だが、「片方」とは「自分自身」の中にあると解釈している。例えば「月」を見て何
を思うか、月に何を求めるのかという「思索の旅」の中に答えがあると考えている。


 s-崇神陵濠に映る月影.jpg 
崇神天皇陵の濠に映る月影 09.10.04 18:17

月を撮ることは意外に難しい。「闇」を思ったように撮れないという「技術的」なことや、思い
描く月を見られる機会が少ないという「気象的・天体的」制約がある。
しかし最も難しくさせてい
るのは、「月」の謎深さではないだろうか。花に感じるものとは違う。水に感じることとは違う。
風に感じるものとも違う。その何か違う感じをもう少しはっきりとさせるところに、旅の理由があ
るように思う。その旅が実は「境」なのではないかと。


 s-PB234885若草山から奈良市街地.jpg  s-P1299078法輪寺十三夜の月.jpg
 
若草山から奈良の市街地を見る 09.11.23 17:26
法輪寺十三夜の月 10.01.29 17:53


 


 
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斑鳩の隠れ里 白石畑

奈良斑鳩の白石畑(シライシハタ)の村落は、法輪寺から北西へ3km、矢田丘陵南端の山奥にある。まるで
隠れ里のようなこの村落は、YAHOOの写真地図を見ていて偶然見つけた。大蜘蛛が触手をひろげ
たような異様な形は、僅かな耕作地を求めて、狭い谷を逆のぼって造られた棚田なのだ。

 
 白石畑航空写真.JPG



地図に安楽寺と素佐男神社の名が見える。どんな古寺があるのか、山道を進む。道は意外にも、
舗装された二車線の車道だった。山の中腹に斑鳩町のごみの埋立地があり、そのために造成された
産業道路ということらしい。

集落の入口辺りの道路端に一体の石仏が安置されている。長く風雨に晒されて目鼻も分からない。
多分地蔵菩薩だろう。少し入ったところに六地蔵が見える。その先には村の墓所があるはずだ。
いずれの石仏にも新しい花が供えられ、周りも掃き清められている。村人の篤い信仰心が窺える。

 
 道端から見た六地蔵.jpg

 

白石畑村落の住人に、寺の在りかを訪ねるが「寺は無い」という。よくよく聞いてみると、集会所
に変わったというではないか。唖然。YAHOOの地図には「安楽寺」と記されているのだから、寺が
無くなったのはそんなに昔のことではあるまい。
どんな経過で寺が消えたのかは知らないが、この小さな村落が自ら寺を支えてゆくのは無理があっ
たのだろう。神社は今もあるという。
白石畑の名は永仁二年(1294)の東寺百合文書に見られる。また法隆寺の料田(学田)があったと記録
にある。「隠れ里」ということはなかったが、とにかく古くから続く村落であったことは間違いない。

 
 鳥居が覗く.jpg
 

神社は村の北のはずれの、一番の高台にあった。白石畑の住居は周りの水田よりかなり高い、島の
ようなところに密集している。丘陵の山頂付近にあるとは言え、雨が降れば周りの山からこの谷に
向けて大量の雨水が流れ込んでくるはずだ。狭い高台に軒を重ねるように住居が集中している理由が
わかる。神社はその高台の中の更に高い崖淵にあった。


 楠木と鳥居.jpg


素佐男神社(スサノオジンジャ)の鎮守(氏神)はスサノオ。スサノオは、イザナギとイザナミから生
まれた三人兄弟の弟。お姉さんがアマテラスで、ツクヨミ(月読命)とスサノオが兄弟になる。スサ
ノオは日本の神々の中でも最も強いキャラクターの持ち主で、神話に描かれたスサノオは荒れ狂う
暴風神であり、逆らう神であり、また大声で泣きわめく神であって、生き物を死に至らしめる。
『出雲風土記』にはスサノオが山の神や水の神だと記されている。この村落にぴったりの氏神では
ないか。


 鳥居の前藪椿落花.jpg


素佐男神社の境内に入ると月番で掃除の奉仕に来た女性がいた。別の村落から来ているという。
どの地域でも神社は氏子によって護られ維持されていると感じる。神社がコミュニティーの中心と
して今も機能しているのだろう。

冬の今、白石畑の棚田は、乾いた枯色の景色が広がるだけだが、桜や彼岸花の咲く時季には美しい景色を求めて多くのカメラマンが訪れると言う。
また一つ奈良の撮影ポイントができた。

見わせば細き乾田段々に 冬陽優しく降りし山里
藪椿紅き点々地に散し 鳥居の足もと飾るごとくに


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2010年01月24日

大和人の自然観

山の辺の道 崇神天皇陵あたりの景色

日本文化の原点である奈良という地域で風景写真を撮っていると、その歴史的風土を表す「大和」
らしさをどのように表現できるのか、では逆に、概念としての「大和」とは一体どのようなものな
のかという所に考えが及ぶ。

 
 崇神天皇陵松.jpg 崇神天皇陵濠.jpg



奈良の地は『現代から直接、千三百年近い昔にたちかえることができる』と評した文人がいた。
しかしだからといって、奈良のどこかを撮ったから「大和らしい風景」と云うことにはならないだ
ろう。奈良の社寺、例えば東大寺を写したからと云って「はい!大和の景色です」と思う人間はい
ないだろう。
それにしても、私は奈良の土地には他の都市では感じられない何か特別なものを感じている。こと
によるとそれが「大和らしさ」ではないかとも思っている。


 渡来花.jpg 大寒に咲く蝋梅.jpg  


では奈良時代に生きた人は「大和」の景色をどのように捉えていたのだろう。その時代にはまだ
「景色を描く」という概念や技術は無かった。しかし、詩や和歌という言語でもって自然を表現す
るということはなされているのだ。「万葉集」や「古今集」に接することにより、作者が見た大和
の景色をイメージできるとともに、その自然観を知ることができる。そこには『古墳時代、飛鳥時
代よりもはるか以前から日本人の心の奥に秘められていた彼らの原始の自然への感覚、あるいは本
能的な畏怖、何ともいえない親愛の思いなどが日本人の心の中に脈々と行き続けている(「花と山
水の文化史」上垣外憲一)』のだ。


 景行天皇陵から二上山.jpg

 

大和人が持っていたその自然観は、今に至る1300年の間に希薄されはしたものの、「花鳥風月」
「山水」という日本固有の情緒、あるいは叙情の一端に今も生き続けている。多分、私のDNAに
も大和人の自然観が少なからず刷り込まれているはずだ。


 冬実.jpg
 

大和人の自然観と相対することにより、自分にはまだ見えていな大和の景色を写したい。しかし、
大和らしさに固執することは、表現の広がりを抑圧することに繋がる化も知れないとも思っている。
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2010年01月21日

宇陀の大蔵寺冬添景

白洲正子がTV番組の取材で「宇陀の大蔵寺」を訪れたのは昭和44年の初夏のこと、今から40年以上
前のことだ。その後、白洲氏の著作「かくれ里」が新潮社から刊行されて以来、多くのファンがこの
寺を目指して、山道を上ったであろう。


 大蔵寺石標.jpg
 際立つ山門跡の「大蔵寺」石標


初めて大蔵寺に入ったのは、一昨年の12月22日、うす曇の日、夕闇の迫る時間だった。冬の境内に
人影はない。いたるところを猪に掘り返された道や、打ち捨てられたようなお堂、荒れた庫裡の外
観を目の当たりにして、「ここは廃寺なのだ」と思い、何か不気味さを覚え、慌てて寺を後にした
ことを覚えている。

 
 ひっそり佇むお堂.jpg 大蔵寺の鐘.jpg


今回訪れた大蔵寺の印象は以前と変わらないが、管長(住職)の在住していることを知っているので
安心して境内に入た。管長の田辺獅豊氏に挨拶をすませ、写真を撮るために裏山に入る許可をいた
だく。


 烏ノ塒屋山.jpg 
 『寺に似隣り合って、ひときわすぐれた山が見える』
 烏ノ塒屋山(からすのとややま) という


大蔵寺のHPによれば、平成22年は「弘法大師入山1200年」とある。空海がこの寺に初めてやって来
たのは37歳のとき。田辺管長も今年、同じ歳になられたという。空海は修禅の道場を物色する目的
でこの山に立ち寄った。境内を歩くと、田辺管長がただお一人で堂宇伽藍と広い山内の維持、充実
に大変な苦労されていることが、見て取れる。田辺管長はいま修行の只中にあられる。今空海なの
だ。


 大師堂の石段.jpg 石香炉と大師堂.jpg 
 弘法大師空海最初の修行道場「御影堂」     御影堂と香炉塔の間に本堂の影が落ちる



山は今、冬枯れの景色が広がり、ただ鳥の忙しく鳴きかう声が響きわたる。先週降った雪が、本堂
と太師堂の屋根に白くうっすら残る。この日は快晴の暖かい日であったが、水溜りには氷が張り、
地面は霜柱で硬く凍っている。宇陀の山中まだまだ寒い。

 
 南天と杉木立.jpg
 参道は深い杉木立に覆われている 


白洲氏は本の中で『この山寺には、(斑鳩に見る)そうした明るさはない。といって、密教寺院に
つきものの陰鬱な厳しさはなく、雑木山のハイキング・コースといった気分である』と書いている。
TVの取材クルーと冗談を交わしながら、爪先上がりの坂道を息切らしながらもにぎやかな一団とな
って寺に向かって行ったのであろう。


 重なり合う屋根.jpg 
『やわらかい桧皮葺の屋根が、互いに重なり合いつつ』

 

冬の朝、鬱蒼たる杉木立の間を抜けて一人上る山道は、凛とした冷気に包まれ、あたかも自分が修
験者であるような錯覚におちいる。昨今の仏像ブームに接して、寺を美術的建築物ないしイベント
会場程度と捉えている人々が多いように思える。紀行作家しかり。否、寺は、人生を思索する格好
の場所であると思い直していただきたいものだ、と近頃考えるようになった。

 
 檜皮の残雪.jpg 南朝高貴の墓.jpg
 薬師堂(本堂)の桧皮葺の屋根に残る薄雪     南朝高貴の方の墓


『孤雲定処無く もとより高峰を愛す 知らず人里の日 月を観て青松に臥す』
わたしの好きな空海の言葉、僭越ながら獅豊管長に贈らせていただく。



posted by ハマー at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 長谷・室生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

奈良千光寺への道

千光寺への道のりは、奥山へ分いるときの心細さと同時に厳しさを求める修験者の持つ山を畏怖す
る気持ちを感じさせてくれる。


 女人山上道.jpg


近鉄生駒線「元山上口駅」前の広場に、「女人山上道」と刻まれた石標が静かに立つ。伝説の怪
人役小角(えんのこづぬ)が千光寺を離れ熊野の山上ヶ岳に去った後も、母親の白専女(しら
とうめ)が修行を続けたことから元山上、女人山上と称されその後も女性の修行道場として栄え
たと伝わる。

 
 役行者像.jpg

 

千光寺の境内には数百体の役行者の石像(コンクリート造?)が奉られている。信者や修験者自身
の寄進によるものと思うが、これほど多くの行者が居並ぶ境内にいると異様な「気」に包まれてい
るような寒気を感じる。「役行者」として知られる役小角(えんのおづぬ)は634年、奈良県御所市
茅原に生また。22才の時にこの千光寺に、修行のための庵を設けた。役小角に関する記述は822年
頃に成立した「日本霊異記」に始まり、今も随筆や小説、歴史書と尽きることが無い。

しかし、その容姿を表すフィギア(figure)はどこの寺社のものも、右手に錫杖、高下駄を履いた
坐像で、他で見る像と変わることが無い。それでも、この寺の役行者は鼻筋が通り眼窩の窪み、日
本人離れした顔立ちをしているように思える。日本霊異記には「唐人」のようだと記されている。
 ※見たことはないが、吉野の桜本坊には、19才の若々しい役小角像があると聞く。


 椿畑から住宅街を望む.jpg 松笠椿.jpg 



元山上駅を千光寺に向かって檪原川に沿った道を上ってゆくと、山の中腹あたり、赤い点々が目に
付く。色あせた枯葉色が占める山野にあって濃い赤色は目立つ。「なんだろう」 急な坂道がくの
字に折れるところに、赤い花をつける椿の林があった。ちょうど作業に来あわせた農家の男性に話
を聞くことができた。

松笠椿という名前だよ。うちは田圃がないから椿を植えている。景気が悪くてね、注文が減って
大変なんだ。この下にはヒバを植えている。日光ヒバって云って、榊の変わりに使うんだ。』 
赤い花のたくさんついた枝を手際よく鋸で引きながら話してくれる。切り出した一本の枝は長さは
二メートル以上もあるだろう。活花の素材に使うのだ。ここまで育つには十年以上かかったことだ
ろうに。再び切り口から芽吹いた新芽が出荷できるような大きさになるまでには、また十年はかか
るのだ。気の遠くなるような歳月を待たなければならない。先祖代々この地生きる人々には、この
生駒の土地は依然厳しい土地柄なのだ。
この先、千光寺へ上る道の途中、打ち捨てられた廃屋を何軒も見た。このまま朽ち果ててゆくのだろう。

 
 連理の二本杉.jpg 板碑と椿の木.jpg



椿畑を過ぎて道は森の中に入る。数体の無縁仏が二本杉の木の根元辺りに散らばっている。この杉
は、二本の木が一本になった「連理木」だ。連理(れんり)木は異なる幹同士が連なって理(木目)
が通じた様が吉兆とされ、「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなる。この杉
の木、特別に祀られていることはないが、このように無縁仏や板碑が集まっているということは、
人がこの二本杉になにか特別なものを感じているからに違いない。今では千光寺までは車でも行く
ことができるが、かつては行き倒れも出るような、山深い難儀な道のりであったことを進むに従っ
て想像された。


 千光寺参道.jpg
 

千光寺まであと500mのところに修験者の行場、「清滝」がある。落差10m以上ある打たせの滝で、
落下する水の飛沫があたった岩壁から氷柱(つらら)がぶら下がる。この日は時に粉雪が舞う冷た
い一日ではあったが、まさか凍えた滝を見られるなんて、思ってもいなかった。

 
 清滝全景.jpg つららの清滝.jpg


ここは清滝よりも周りを取り囲むようにある石仏群が知られているようで、平群町の指定文化財に
もなっている。写真に少し写っているが、滝口から対岸の「五智如来」に向けて勧請縄が掛けられ
ている。平群町の公式HPを見ると「鳴川集落への伝染病などを防ぐ願いが込められて毎年大晦日
に掛け替えられている」とある。
このことは、かつてはこの滝を境として鳴川集落は、里の村落とは隔絶した、山の人が住む秘境
あったことを窺わせる。


 ほら吹・はらみ地蔵.jpg 貝吹地蔵.jpg
 行場の不動明王石像.jpg 五智如来.jpg 


千光寺の石段をあがって山門をくぐると、すぐ右手の小さなお堂になんとも悩ましいお姿の「弁才
天」
が祀られている。多分赤い衣の下は裸体であろう。左にいます天を仰ぐ像は、恐らく、夫の
「梵天」か。 弁財天の姿に気をとられ、うかつにもお名前を確認することを失念してしまった。


 千光寺山門前.jpg 弁財天・梵天像.jpg


『密教には、手で結ぶ印にしても、祀られる本尊にしても、妙にエロティクな雰囲気があり、そう
いうものが古代のみあれの信仰と、うまく結びついたのではあるまいか』これは白洲正子「かく
れ里
/葛城から吉野へ」の中の一文で、「みあれ」とは貴人の誕生を意味する。『「山は産なり」
で、なんでも生み出す力を持つものとして崇拝された。万物を生む神であってみれば、山は女体と
見られたに違いないし・・・』
奈良千光寺は真言宗の寺院。真言宗は空海によって開かれた密教を基盤とした仏教の宗派である。
空海に先立つこと140年前の「役行者」の開祖になるここ千光寺が更に密教の色彩が強いことは容
易に想像されることだ。


 玉の輿鉄下駄.jpg
 

〔エピソード〕
境内に一足の「鉄下駄」が置かれている。説明書きによれば「女子 鉄下駄をはいて三歩歩めば
玉の輿の良縁来る」とある。これは足腰の強さを測るものであり、つまり多産の証を見るものと考
えるのはうがち過ぎというものだろうか。





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2010年01月14日

大和の絵馬

佐紀路「山上八幡神社」の絵馬を見て

神の乗り物としての馬、「神馬」を引き出物として神社に奉納する代りに、板に描いた馬の絵で代え
られるようになったのが、絵馬の由来。絵に変わる前には、木や紙、土で作った馬の像で代用されて
もいた。馬を神社(神)に奉納する訳は、神霊は馬に乗った姿で降臨するものと古くから考えられてい
たからだ。


 縁起のいい白馬.jpg  山上八幡神社割拝殿.jpg


山上八幡神社(奈良市山陵町御陵前)に立ち寄ったのは、割拝殿にかかった白い馬の絵が目についたか
ら。神社のことはよく知らないが、普通はその位置は神社の名前を記した「扁額」がかかっている場
所のはず。「ナニ あれは?」という感じでつい確かめに寄ってしまった。


 山上八幡神社天井絵馬.jpg



」の写真を撮り終えてふと上の方を見たら、「なんだこれは ! 」天井が「絵馬」で覆い尽くさ
れているではないか。 これはちょっとしたカルチャーショックでした。


 二月堂絵馬.jpg


絵馬はもともと神に献上するものだったが、室町時代のころになると、仏にも捧げるというふうに変
わってきた。よく訪れる東大寺二月堂の軒下は奉納された「絵馬」で埋まっている。「寺」だからだ
ろうか、「馬」もあるがそれ以外のものの方が多い。

「絵馬」の馬離れは室町時代頃から見られるようになり、信仰の対象とする仏の図柄や、象徴する持
ち物を描くなど、さまざまな意匠を取り入れるようになったという。またこの頃から絵馬の大衆化が
始まり、庶民信仰のよりどころとなった。


 奈良町のお堂で見た絵馬.jpg
 

奈良町の路傍の小さなお堂に掲げられた、仏画風絵馬。これは僧侶の側からの願掛けのように見える。
「皆さん仏さまを信じましょう。お坊さんを敬ってください」というように思えてしまうのだが。


 神野寺の「猫」の絵馬.jpg



一昨年訪れた神野寺(こうのじ、奈良県山添村)で「」の絵馬を見たことがある。
絵馬は、神社や寺院に祈願するとき、および祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに絵が描かれ
た木の板を奉納する訳であるが、この「猫」の絵には何の願いが込められているのだろう。また、こ
の絵馬を奉納したと推測される人の名前「源治郎」の文字が逆さまになっているのには、どんな思い
が隠されているのだろう。

「絵馬」については角川書店発行の「真珠の小箱C奈良の冬」の一節に「大和の絵馬」に詳しい。
著者の岩井宏実氏の他の著書には「絵馬」や「妖怪」などに多数ある。紀伊国屋書店BookWeb
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8A%E2%88%E4%81@%8DG%8E%C0/list.html
「奈良の冬」 昭和54年11月10日 初版発行


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2010年01月13日

海龍王寺 冬の雨

 

「しぐれのあめ いたくなふりそ こんだうの」だったよな、と思い出しながら海龍王寺の山門を
入る。朝から降り出した雨は午後になっても上がる様子がない。時雨というよりも小糠雨だろう。 


 経蔵.jpg


「はしらのまそほ かべにながれむ」と続く会津八一の短歌を、写真にできないかと考えていたが、
もう柱の「まそほ(真朱)」はすっかり溶け流れ落ち黒茶色の地肌からはなにも偲ぶすべは無い。


 中庭から山門をを望む.jpg

 

こんな雨の水曜日に訪ずれる酔狂な奴はいるまいと(自分をさておいて)考えていたら、あにはから
んや、カメラを構えていた中門に、水色の傘が、ぼっと開いた。色に乏しい冬の雨天、「ビニール
傘も山の賑わい」とばかりにシャッターを押す。


 ピラカンサス.jpg

 

海龍王寺ではいつの季節も何かの花と出会うことができる。この時季は結実した「万両」、「南天」、
「くろがねもち」、橙や赤色の「ピラカンサス」を見ることができる。
本堂の奥にひっそりと咲く
雨に打たれて咲くラッパ水仙、なにかいじらしく感じる。まだまだ春は遠い。



 ラッパ水仙.jpg


 
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2010年01月10日

平城山の朝霜


1月9日土曜日。無風、快晴、気温2℃くらい。絶好の「霜晴」。

 コケについた霜.jpg
 

平城山(ならやま)の農道に落ちている白い小さな塊は、霜に覆われたネジイチゴケのきれっぱし。
金平糖を置いたように見える。
霜は空気中の水蒸気が氷の結晶に変わったもの。草葉の表面にも石英柱のような針を伸ばす。霜の降
りた野原を歩くと、靴の裏から氷柱のつぶれる「サクサク」という音が聞こえる。


 畑も原も霜.jpg 草も霜.jpg


陽のあたらない処はゾクッとするほど寒い。草も、土も白い霜に覆いつくされて真っ白。
季節はずれのタンポポが、花頭についた霜の重みに耐えられず倒れてしまっている。霜に縁取られ鋸
歯は、まるで海に泳ぐ鮫の群れのようだ。
水仙の花にも朝霜が。種田山頭火に「霜水仙は折れて咲いている」という句がある。同じ景色だ。


 蒲公英も霜.jpg 水仙に朝の霜.jpg



小学生の頃、朝の通学路で、いつもの見慣れた景色が、白い霜に覆われて別世界のように変わってい
るのを見たときに、何か不思議な気持ちにさせられた。「えっ、どういうこと」という気分。
今でも、霜に覆われた景色を見ると、戸惑いに似た気持ちが起こる。だけどそれは何か楽しいことが
起こる予感のようでもり、けしていやな気分ではないようだ。霜の降りた朝は好きだ。

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2010年01月09日

俵万智「短歌をよむ」に習う写真作法

『短歌を詠むはじめの第一歩は、心の「揺れ」だと思う。』
書店でこの文章を見て、迷わずこの本を購入した。俵 万智著「短歌をよむ」
※岩波新書 1993年10月20日 第1刷発行 2007年1月25日第20刷発行


 柳生街道山茶花.jpg
 柳生街道 正面に山茶花の赤い塊が見えた



『どんなに小さなことでもいい、なにかしら「あっ」と感じる気持ち。その「あっ」が種になって
歌は生まれてくる』

写真も同じだと思う。「奈良」という大きなテーマの中で、(モチーフとして)社寺、史跡、野山を
巡り歩いていて、行き過ぎた間際、なにかの残像が心を刺激する時がある。


 斑鳩の林内の木.jpg
 斑鳩の里 林の中、皺の寄った木が



『短歌を詠むとは、感動の種を言葉に育て上げることなのだ。(中略)自分の心が「あっ」と揺れた
ら、ただ揺れっぱなしにしておかないで、もう一度丁寧に見つめなおす。』


立ち止まり、「あっ」と感じたものの正体を探す。それは光であったり、形であったり、風に揺
れる枝葉だったり。手前の建物と遠くのものの重なりの形であったり、さまざまだ。


 東大寺の大鐘.jpg
 東大寺の大鐘 石段と鐘楼と背後の樹木のバランスがいい



『「あっ」と心が揺れた。何かに感じることができた。ではそれをどう言葉にしてゆくか、が次の
問題となる。心の揺れた場面から具体的に言葉を拾ったり、自分の思いを表す言葉を探したりしな
がら、なんとか三十一文字にしてみる・・・。』


 法隆寺西築地.jpg
 斑鳩の山 法隆寺の西築地に行き当たる 


何が自分の心を刺激したのだろう。「あっ」を感じたとき、その何かを確認する作業から、自分の
写真作法
は始まる。この大きな景色からどこを切り出すか、ワイドにするか望遠を使うか、絞値を
いくつにするか、前ピンにするか、後ピンにするか、見つけた「あっ」と対面しながら組み立て
して行く。
 

 二月堂大香炉を支える邪鬼たち.jpg
 二月堂の大香炉を支える邪鬼 見落としていた

 


『「実際の場面にはあった優しい気分」にこだわってみるか、あるいは多少強調されても核心部分
だけでいくかは、迷われるところ。前者のほうが広がりが出る場合もあるし、後者の方がすっきり
する場合もある。逆に前者には焦点がぼやけるおそれがあるし、後者には一人よがりになるおそれ
がある。』


 磐之媛陵の堀に映った青空.jpg
 皇后陵の堀に抜けるような青空が映っていた


短歌を詠む作業は、ほんとうに写真作法の過程と変わらないと思える。

『「あっ」と思った、その結果だけを歌にしたのでは、読んでいる人には何がなんだかよくわから
ない。「あっ」と思わせてくれた何かを、三十一文字にとりこみつつ、気持ちを表してゆくことが
大切なのだ、と思う。』『気持ちと事柄とのブレンド――――この配合によって、短歌の味わいは、
ずいぶん変わってくる。気持ちストレートの迫力と、事柄ストレートの説得力とを合わせた、オリ
ジナルブレンド。その最も香り高いブレンドを目指して、あーでもないこーでもないと言葉を配合
してゆくのが、短歌を作るということなのだろう。』


 猿沢の池に浮かぶ石碑.jpg
 雨の猿沢の池 こんなところに石碑があった


「あっ」と感じさせたものはアレだ。じゃアレを引き立てているのは何だろう。あれの置かれてい
る状況を表すものは何だろう。前景にこの花を置いて、空を少しだけ残して、アレの大きさはどれ
くらいにするか、と景色をブレンドして行く。写真を作る、つまり構図を決める作業と、短歌を作
るということは、具体的に良く似ている。


 唐招提寺金堂釘隠し.jpg
 唐招提寺金堂の釘隠 スバラシイ



この本「短歌をよむ」は、写真を撮るという作図作業を高めてゆく上で、実にわかりやすいテキ
ストに代わる。「題詠み」「推敲」「連作」の節にも、多くのサジェスチョンがある。

俵万智のこの本を読んでいるうちに、明日、もう一度東大寺へ行って見ようと思った。今持ってい
るイメージ、過去に写真で捉えたイメージは忘れて、目と心を開いて「あっ」を感じに行こうと
思った。

今日の日記は、「あっ」を感じた時に撮った写真で占める。いや閉める。掛詞。結構学習できた。

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2010年01月08日

春日奥山遊歩道から若草山へ

若草山は冬と夏の一定期間、閉山され麓(ゲート)から入山ができない。ただ山頂に限っては、いつ
の期間でも自動車専用の奈良奥山ドライブウェイか、奈良奥山遊歩道から入ることができる。

遊歩道の基点に建つ石標に「聖天宮」とあるが、これが何処にあるのか、またその由緒も分から
ない。春日奥山遊歩道にはところどころに苔むした石標が立つが、どうもその多く現在は通用しな
いみたいだ。


 遊歩道入口石標.jpg 鶯滝への道.jpg



基点の水谷神社あたりから近いところに、日月亭という料理旅館がある。この路の脇に「右月日
磐 左鶯野瀧」と刻まれた石標が建ち、名づけの由来となった「日月」のかたちが彫られ磐石のあ
りかを示しているのだが、これも苔むし、読みづらいから誰も見向きもしない。写真を撮った自分
も、その磐を見落としてしまった。


 鶯瀧と月日磐道標.jpg 



登り坂の左手山裾に、奇妙な形の石仏があった。「洞の仏頭石」といわれる珍しい形の石仏で、室
町時代(1520年)の造立と碑に刻まれている、らしいが、文字を見つけられない。「洞」はこのあた
りの地名。この石仏がこの道の唯一の石仏。この先ではもう見かけることはなかった。


 洞の仏頭石.jpg 天然記念物春日山原始林.jpg


若草山の山頂にたどり着く。人の姿はない。二頭の鹿が、芝を食んでいた。鹿に近づいても、じっ
とこちらを見ているが、逃げはしない。いつも思うのだが、鹿は何故人の視線を嫌わないのだろう。
何故、こちらをじっと見続けるのだろう。これは千年以上続く奈良の鹿と人の付き合い故のことな
のだろうか。鹿の遺伝子に刷り込まれているのだろうか。


 若草山鹿の雌雄.jpg
 


若草山の向こう、芳山の中腹に赤黄色の枝を広げる大木が目に付いた。恐らく「マンサク」だろう。
春の訪れに先駆けて咲くこの木の名前の由来は、「まず咲く」が東北地方の訛りのまま伝わったと
いわれる。なんともほほ笑ましい名前だが、一度聞いたら忘れられない名前と、花の色形。
春はもうそこまで確実にやって来ていた。



 マンサクの花満開.jpg
 
 『奥山に道のしるべ苔むしても 今咲きさかりまんさくの花』


posted by ハマー at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良公園周辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月04日

塔のある景色 冬の法起寺

小さな森を抜けると目の前に突然三重塔が飛び込んで来る。視界の開けた田圃の先に、生垣に囲ま
れ小さく整った法起寺の伽藍が見える。「ああ ! 塔のある景色」 その後、幾度かそこを通り過ぎ
たが、そのとき覚えたときめきに似た気持ちは変わることがない。奈良県道9号線を小泉の方から
法隆寺へ行くときに目にする、車窓から見る印象的なこの「塔のある景色」は、寺院仏閣の多い奈
良県下でも未だ他に見ることがない。


 法輪寺西門.jpg  東の田圃.jpg
 ・西門前のコスモス畑から見る 初夏からピ晩秋までピンクの花が絶えない、という・・・
 ・伽藍東の田圃から見る日本最古の三重塔


 


世界遺産に登録されている法起寺一帯は、市街化が押さえられ、古都の景観を保っている。県道を
はさんだ寺の北側に広がる岡本の集落はゆるやかな傾斜地に密集している。高台の菅原神社に向か
う坂道の十字路から、法起寺を見下ろすことができる。この集落から見ることのできる唯一最高の
ビューポイント
。しかし、ほんとうに残念なことに、三重塔に一本の電柱がかぶさり、せっかくの
美景を台無にしている。私のような通りすがりの観光客がとやかく言うことはできないが、ほんと
うに惜しいのだ。画家ならばキャンパスに入れなければ済むのであろうが、カメラはそういうわけ
にはいかないから。ほんとうにもったいない。


 岡本の集落から.jpg  菅原神社.jpg
 坂道から見る法起寺三重塔              掃き清めら静かなな社殿


三重塔の全体は伽藍東側からよく見ることができる。生垣も、築地塀もなく鉄条網で囲われている
だけなので、丸見えなのだ。保安上はとても不安なことであろうが、私のような写真好きな観光客
には実にうれしい限りだ。境内の南と東側には田畑が広がり、白菜やキャベツ、大根なんかが育っ
ている。これまでじっくりと畑を見たことは無かったが、虫に食われ放題のキャベツには物語を感
じてしまう。


 穴あなのキャベツ.jpg  

田んぼの脇に、ピラカンサの生垣があった。小さな赤い実をびっしりとつけたその向こうに、三重
塔をすかし見る
ことができる。ちょっと無理があるが、撮る。しかし、フォーカスがうまく決まら
ない。塔にピントを合わす方がよいのか、ピラカンサに合わすべきなのか、決心がつかない。
農家の庭先に、白、黄、えんじ色の菊が咲いている。黒い寒冷紗が風に揺れる。農家の人たちは
を畑や庭で作る。我が家で育てた四季折々の花で祖先のいる仏壇を飾るのだ。奈良の冬は厳しい。
極端な寒さにはならないものの、冬の朝は零下の気温が続く。今朝も針のような霜が降りていた。


 ピラカンサの三重塔.jpg  寒冷紗.jpg  
 ピラカンサの生垣と三重塔          寒冷紗に護られた小菊

法起寺は外観の美しさに相違して境内には三重塔以外は見るべきものは意外に少ない。収蔵庫の外
からガラス越しに木造十一面観音菩薩立像(重文)を見終えると、もう他は無い。


 三重塔初層.jpg  三重塔と残り柿.jpg
 三重塔初層 心柱の前に鏡餅、四本柱も見える           軒下の組物がおもしろい


庫裡の脇に赤白の花弁を持つ椿の若木があった。「糊こぼし椿」という。同じ椿が東大寺の開山
堂にあり別名を良弁(ろうべん)椿ともいう。のりこぼし椿は「奈良の三名椿」の一つといわれる
が、ここは非公開のため見ることはできない。たまたま通りかかった受付の人が教えてくれた。
紅と白のバランスがとても心地よく綺麗な椿ですね。


 椿「のりこぼし」.jpg
 「のりこぼし」



※二月堂お水取りの行事を彩る「のりこぼし」
http://taikutuoyaji.com/tubaki1.html
 東大寺二月堂の南西にある国宝のお堂、開山堂は庭が非公開なのですが脇道から垣間見ることが出来ます。「お水取り」に先立って、練行衆は行に使う造花の椿を作ります、誤って紙の上に糊をこぼしてしまいのりの斑点に庭の椿が似ていたことから名づけられた。

posted by ハマー at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 斑鳩・生駒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

冬の浄瑠璃寺

 

「じょうるり」・・・・・なんと美しい響きとイメージを持つ言葉だろう。 
「浄」清い、けがれのない 。「瑠璃」天空・青をあらわす。この語感の美しさに誘われ、多く
の人たちがこの浄瑠璃寺を訪れることだろう。


 馬酔木の花.jpg


浄瑠璃寺の開門時間は午前9時。乗合バスの都合だろうか、まだ開門までに20分もあるが、すで
に数人の参拝客が開門を待っている。寺の参道には、何本もの馬酔木が植えられているが、その
うちの一株、もうつぼみを開いている。少し赤みを残した白い釣鐘の形をした房状になった花が
咲いていた。春の花のはずなのに、もう咲いている。 開門をまつ間、馬酔木を撮る。


 浄瑠璃寺宝池.jpg


12月31日、昨日からの寒波の影響で冷たい朝だった。突風が木々を揺らしゴーゴーと音を鳴らす。
まるで台風のようだ。本堂まえの宝池の水面には、朝日を受けて光る屋根と背後の木々がくっき
りと映って見える。高い木に覆われ薄暗い早朝の境内と、池に映る明るい景色のコントラストと
の面白さが、寒さを一時忘れさせてくれる。


 浄瑠璃寺の葉牡丹.jpg


山門の両脇に、入るときにはなかった葉牡丹の鉢植えが置かれていた。そうだ、明日は元旦。正
月を迎える飾りなのだ。

葉牡丹を正月飾りに使うようになったのは江戸時代以後のことのようで、紅白の色使いが出来
る事から、門松には欠かせない植物になった。葉牡丹の観賞の時期がちょうど冬の今頃であるこ
とと、姿が和風の飾りとしても良く似合ことから、関西地方に定着したらしい。

子供の頃、キャベツに似たこの色つきの野菜なのか花なのか分からない葉牡丹がなんだか知らな
いが苦手だった。綺麗と思えるようになったのは、年賀状に刷られた多色刷りの版画の葉牡丹を
見てからのこと。だけどもうその人から賀状の届くことはない。


※お正月と門松
http://www.kita-ryokka.or.jp/hana_main_0901.html
posted by ハマー at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良市東郊 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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