2009年12月30日

平城京跡 佇立する大樹に想う

平城宮跡に立つ。見渡す限り数本の樹木以外に視界を遮るものはなにもない。「広いな」としみ
じみと感じる。奈良市の中心にある1.1km四方の空間。しかし、この荒野に、1300年前、日本の
首都宮殿があったのだと考えた瞬間、都が造られようとしているその時のその場所にいるような、
不思議な感覚におちいる。


 大極殿遠望.jpg
 復元なった大極殿を望む


この地に都があった期間はたったの90年余り。日本の歴史から見てもあまりにも短い年月。平城
京が地上から姿を消してから1200年過ぎた今ここに、朱雀門に続いて、当時の庁舎、大極殿が土
の下から甦ったように復元された。遠くから眺めると、まるで幻を見るような錯覚に襲われる。


 大極殿.jpg 朱雀門.jpg


平城宮跡地には、樹齢50年以上になると思われる大きな木がところどころに立っている。恐らく
戦後に植栽されたものであろう。樹種もばらばらで、冬には落葉する広葉樹が目立つ。 
葉の落ちた大樹のシルエットにはなにか惹かれるものがある。おそらく、葉の落ちた枝を透か
しその先の景色を見る時、知らず知らずに自分の心を覗き見ている、そんな虚無の一瞬に捉われ
るのだろうか。癒しとはまた異なる、心の静まりを与えてくれる。


 日の出.jpg 夕焼け.jpg
 この日の朝焼も夕焼も30秒ほどで終わってしまった


平城遷都1300年祭が来年1月1日に始まる。平城宮跡の保存に奔走した棚田嘉十郎は1910(明治
43)年、大極殿跡で「平城遷都千二百年祭」を挙行したという。その運動が実って、1922(大正
11)年、大極殿・朝堂院跡が国の史跡に指定された。棚田氏が無念のあまり、自ら命を絶った翌
年のことであった。 

私は、昇る朝日に、頭上に白く輝く夕月に、氏の希望と苦しみに満ちた人生を悼み、そして夢見
たであろう雄大な奈良の都の景観に、同じく思いを馳せる。


 夕月.jpg

万葉歌より
『木の間より 移ろふ月の 影を惜しみ 立ち回るに さ夜更けにけり』(作者不明)

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2009年12月27日

斑鳩の里 法輪寺と三重塔

斑鳩三塔のなかで法輪寺の三重塔は、写真を撮るのに苦労する。寺の周りは、フレームに収めたく
ない夾雑物に溢れているのだ。 昭和19年、落雷により塔は焼失した。シンボルを失った法輪寺の
界隈は、聖徳太子ゆかりの地という誇りを忘れた。幸田文が東奔西走して、昭和50年に塔が再建さ
れた時、村の景観は、1300年の歴史を偲ぶにはそぐわないものに変わってしまっていたという。


 三井集落と三重塔.jpg


法輪寺の四囲を囲むように、数軒の農家の母屋とトタン造りの物置が雑駁と密集し、間に田畑を置
いて、小さな工場や作業場が集散する。電柱や電線、ビニールハウス、倉庫、看板、ガードレール、
路上の軽トラックなどなど、それらを嫌うとシャッターは押せない。背景の山並は木々に隠されて
はいるが、その後ろにはゴルフコースが広がっている。それが斑鳩の里の現在の姿なのだ。


 法輪寺山門.jpg 


それでも、法隆寺よりも、法起寺よりもこの法輪寺に惹かれるのは何故だろう。
亀井勝一郎「大和古寺風物詩」の法輪寺を紹介する一節に『夢殿や中宮寺へまいる折は、いつもこ
こまで来て春秋の景色を眺める。平原の豊かさもいいが、しかし法隆寺の北裏から東方へきれぎれ
に連なる丘陵の側も、また別の趣があって捨てがたい。丘陵の間には白壁の映ゆる古風な人家が散
在し、それを巡って小さな森が点々としている。(中略)しばしば法輪寺を訪れるようになったのも、
一つにはこうした道筋の美しさのためであるらしい。法隆寺に群がる参詣人たちも、中宮寺を過ぎ
ると全く途絶えて、ここばかりは斑鳩の址にふさわしくひっそりと静まりかえっている。』と記さ
れている。


 葦塔冬枯れの山.jpg  

 
そうなんだ、確かにこの法輪寺を囲む丘陵には、飛鳥や天平の人たちが逍遥したことであろう山や
道が、1300年前の景色が奇跡的にも残されているのだ。

 
 講堂石灯籠.jpg s-PC266683補整.jpg
 講堂前の石灯籠                    目を惹く庫裏の茅葺屋根
 
 南天三重塔.jpg 青松と三重塔.jpg
 庫裏から見る三重塔          いつもは脇役の松だが


最近読んだ「天才アラーキー写真ノ方法」の中で、著者荒木経惟氏は、『被写体っつうのは、最初
からすでに物語を持ってるんだ。被写体っつうのは、そういうもんなのよ。うん。でも、その物語
彷彿とよみがえらせるような写真じゃないと、ダメなんだよ。それがいい写真というか、面白
い写真なんだよね』さらに『時代とか空間とかは、自分以外の他の場所にあるのじゃなくて、私自
身の中
にあるっていうこと』と言っている。


 金堂冬楓.jpg 金堂と冬楓.jpg
 枝に残った楓の種子             金堂を背に葉を落とした楓の木のシルエット

 九日月と本堂.jpg 
 金堂の空高く九日月が見える       


カメラで法輪寺の三重塔を撮ることを難しいと感じてるのは、自分の中に物語が無いからなんだと、
気づかされた。定型的な風景写真の枠の中に法輪寺を収めようと四苦八苦して、かえって難しくし
ているからなのだと。 よし、もう一度、行ってみよう。

 南天と白壁.jpg 法輪寺仏塔.jpg
 南天が白壁に映える                  地蔵堂脇にある仏塔

12月25日、法輪寺と向き合った。晴れ時々曇り。夕刻には、北から流れ来る冷気とともに間断なく
吹き寄せる雲が空を灰色に変えた。寒い夕暮れ。期待した夕焼は無かった。 午後四時半山門の扉
は閉じられた。 今日の収穫は、13枚の写真。 物語はここから生まれる


 黄昏法輪寺の道.jpg
 人の姿が絶えた法輪寺前の道


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2009年12月22日

「氷うすく結ぶ」晩冬の奈良

「氷を結ぶ」

『山かわの氷やうすく結ぶらむ 下に木の葉ぞ見えて流るる 』( 続古今集 北条泰時 )

 氷の下の枯葉.jpg

「氷やうすく結ぶらむ」という言葉遣いがあるんだなー。北条泰時は平安から鎌倉時代に生きた
人で、1242年没とある。現代でもその語意を簡単に理解できる「氷を結ぶ」という言葉遣いが、
鎌倉時代すでに使われていたことに何故か感動してしまう。それとともに、戦乱の時代にあり
ながら、氷の下に透ける木の葉を見て、詩情を覚える、武将たちの感性の豊かさにに思わず驚か
される。

 
 吹雪く.jpg 雪雲沸く.jpg



12月18日からの寒波の影響で、奈良市も雪が舞った。舞ったというよりも吹いたというか、強い
風にあおられて刺すような雪だった。北西の空から濃い灰色の雪雲が次からつぎへと流れて来て、
一瞬にして視界は真っ白になる。そしてまた突然に青い空と強い日差しが射す。


 川上町の赤山.jpg 雪雲去る.jpg 



般若寺あたりの佐保川に沿って走る月ヶ瀬街道(国道369号)から、お椀を伏せたような形をした
山が見える。広葉樹に覆われた里山で、秋の深まりとともに色変わりし「赤い山」になる。残念
ながら、訪れるには時季が遅かったが、山肌のところどころに残る枯れ葉にかろうじてその姿を
偲ぶことができる。

 
 リンドウ.jpg



土手に「リンドウ」の花が咲いていた。雪も降ろうかというこの晩冬に、なにか間違えて咲い
てしまったのだろうか。清少納言の随筆「枕草子」に『りんだうは枝ざしなどもむつかしけれど、
こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし。』と
ある。リンドウは、秋草が枯れ、野山がさびれかかったころに楚々とした紫の姿をあらわすと
言っているが、晩冬にあたるこの時期まで咲いているとは、ちとおかしい、かも。


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2009年12月17日

中冬の奈良「弘仁寺」の気色

 

国道169号窪之庄交差点を東に折れて、奈良県道187号(福住上三橋線)を弘仁寺に向かう。虚空
蔵山の脇を進むと、前方に薄く雪を被った峯が見えた。地図を確認すると、城山(528.7m)の
ようだ。弘仁寺を通り過ごし、山に向かう。名阪国道の高架下をくぐったところで、その山が、
目の前にあった。


 城山粉糖.jpg  城山と紅葉.jpg


山頂に佇立する木々は、粉糖を振ったクリスマスケーキのデコレーションのようだ。カメラを左
にパーンすると、山腹はくすんだ赤黄色の枯葉に覆われ、山頂から手前の竹林まで微妙なグラデ
ーションに彩られた水彩画がひろがる。寒い。気温は零度に近い。山頂は凍りついているだろう。


 弘仁寺石標.jpg  


弘仁寺の参道を上る。山門前に建つ石標を、紅葉が覆いかぶさるように隠している。常緑樹の
下にある紅葉の落葉は、遅い。いまひとつその色は冴えないものの、それでもそれなりの感慨は
ある。 「中冬の 紅葉ひかえめ 寺の門」


 楓の古木.jpg 弘仁寺本堂と明星堂.jpg



境内にも一本の楓の古木が紅葉を残している。苔に覆われた幹が、この寺の長い歴史を語ってい
るよだ。境内は人影なく、侘しいばかりだ。寺は虚空蔵山の中に位置し、山寺のたたずまい。

庫裡の裏手の小さな畑地には住職の家族が育てているのだろう、色とりどりの菊の花が咲いてい
る。四囲の雑木林はまだ枯葉を身にまとい、散り行く寸前のはかない美しさを見せてくれている。

 
 散り際の美.jpg 冬の菊.jpg
 

「寒いからあたってゆきなさい」とおばあちゃんが、声をかけてくれた。 「どんと焼きさ」
柿の木を燃やし、火鉢に使う消し炭を作る。煙が出なくなったら水の中に浸し、陽に乾して使う。
このあたりには、今でも野生の猿や、猪が出没し、干し柿や豆などの農作物をさらって行くと、
老婆が言う。なんと、野生の鹿もでるという。


 ばあちゃんのどんと焼き.jpg 残り柿.jpg



弘仁寺HP http://www8.ocn.ne.jp/~kouninji/
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2009年12月11日

小鹿の身投げ 

 

7月18日講堂跡.jpg  7月18日ここかゆいの.jpg
 講堂跡で遊ぶ仲良しさん(7/18)       ここかゆいの(7/18)

交通事故
早朝、興福寺と国立博物館を横断する国道169号で、ついに、見たくないものを見てしまった。
軽自動車の前に、小鹿が、赤い血にまみれて、横たわっていた。小鹿の吐く息が白い。事故直後
のようで、停車した車のドライバーは、救援要請のために園内を駆けずり回っているのだろう。
シートは空だった。


奈良公園の鹿の数
調査によれば、09年7月現在、奈良公園と若草山に生息している鹿は計1052頭。生息数は
牡鹿196頭(前年比66頭減)、雌鹿は705頭(同10頭増)、子鹿151頭(同20頭
減)。357頭のシカが死んだ。死亡原因は、179頭が疾病、76頭が交通事故によるもの。(奈良
経済新聞)
奈良公園内での鹿の交通事故の発生件数は、毎年100件以上にものぼるそうだ。



決まっている鹿の通う道
日の出前、車で県庁前を行くと、数頭の鹿が、のんびりと道路を渡っている。横断歩道を渡るの
ではない。走ってくる自動車を前にして、ゆっくりと、ゆっくりと、いつも決まっっている獣た
ちの「みち」を移動して行く。ゆっくり、止まるように渡ってゆく。警笛を鳴らしても、立ち止
まることがあっても、慌てることも、ひるむこともない。
寝ぐらから餌場に向かう、餌場から寝ぐらに帰る鹿の群れの道、獣道はいつも決まっている。
一列になって、乱れることなく、行進してゆく。


 鹿の道.jpg  10月24日枯葉色の冬毛.jpg
 鹿の通る道(1/26)      冬毛に変わった小鹿(10/24)


鹿の身投げ
しかし、群れから遅れた小鹿が、道路の向こう側の、先に着いた母鹿に向かって、車の前を、道
路に飛び込んで行く。まるで身投げするかのように。


奈良公園で会った、鹿クンの写真を、あの小鹿の無事である事を祈って、ブログに掲げる。
生まれて数日後から、鹿の子模様の綺麗な夏、濃い茶色の冬毛に変わる秋までを撮った。


 3月15日赤ちゃん鹿.jpg  冬日を受けて.jpg
 参道デビュー赤ちゃん鹿(3/15)          冬日を受けて(10/18)


※ 鹿の救助活動 http://naradeer.com/serv01.htm   
※ 思いやりが鹿を守る−ドライバーに「シカの飛び出し注意」呼びかけ /奈良 みんなの経済新聞ネットワーク http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091124-00000034-minkei-l29

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2009年12月10日

初冬 山の辺の道

桧原神社から玄賓庵へ

山の辺の道のなかでも、桧原神社と玄賓庵とのあいだが、最も「山の辺」らしいと感じる。
深い木々に覆われた曲がりくねる細道が、道のりの全てに続く。ここで目にする景色が、最も
山の辺の詩情あふれる道と思う。


 冬の雑木林.jpg 杉木立の衝立のような.jpg



桧原神社を出るとすぐに、入江泰吉の写真「蒼古の色濃き玄賓庵への道」で知られる杉木立
の山道に入る。文芸評論家、小林秀雄の書になる「山邊道」の石標がたつ細道である。この石
の道標、実は桧原神社から南に玄賓庵へ向かう場合には、碑が逆向のためつい見過ごしてしま
う。北向きに、玄賓庵から北向きに檜原神社へ向かへば、その文字を見ることができる。だか
ら、ほんとは写真のタイトルは「蒼古の色濃き檜原神社への道」が妥当かもしれない。

それにしても、入江氏が撮影した当時に道標を挟んで立っていた二本の杉は、根元近くから伐
採され、今はもう、その木立は見られない。だからというわけではないが、今では文字どおり、
桧原神社から玄賓庵へ向かう時に見る景色のほうが、美しいし、それらしく見える。


 玄賓庵への道.jpg 檜原神社石垣.jpg
 冬日こぼれる玄賓庵への道     桧原神社前の細道


桧原神社のすぐ脇に、柿本人麻呂の「古の 人の植ゑけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬ
らし」の歌碑が建っている。徳川宗敬の書による。柿本人麻呂は奈良時代660年代から720年代
を生きた歌人であるが、その歌詞から、1300年も前に、植林の行われていたらしいことが伺わ
れて興味深い。その昔、柿本人麻呂が見た山の辺の道にひろがる景色はどのようなものであっ
たのだろう。 
※徳川宗敬(とくがわむねよし)は、祖父が最後の将軍慶喜の兄慶篤。貴族院・参議院議員。
緑化運動に尽力。緑化の父ともいわれた。平成元年没。
※Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%95%AC


 柿本人麻呂杉歌碑.jpg



前川佐美雄の歌碑
桧原神社の境内では、二つの歌碑を見る。一つは俳句、松尾芭蕉「観月や山の辺道を檜原まで」。
もう一つは、前川佐美雄の短歌、「春がすみ いよいよ濃くなる 真昼間の なにも見えねば 
大和と思へ」。実に含蓄に富む、刺激的な一首ではないか。しかし、発句の書体が判読できない。
いつものことだが、歌碑の写真を撮るたび、歌の全文と作者を理解できるようになるまでに苦
労させられるのだな。 
前川佐美雄のことは、少し前から知っていた。奈良県生まれのせいか、奈良ではよく知られた
歌人のようだ。奈良、大和をテーマにした歌集を多く著している。いちど通しで読んでみたいと
思う。


 前川佐美雄歌碑.jpg
 春がすみ いよいよ濃くなる・・・・

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2009年12月07日

般若寺と奈良阪の景色

 

今日、奈良阪を歩いた。今年三度目になる。春、夏、そして晩秋というには遅いが、四季の移り
変わりに合わせて訪ねている。今日は、般若寺から光明皇后陵を巡った。


 般若寺石仏群.jpg



般若寺には、まだコスモスが僅かに残っていた。「花の寺」を標榜するこの寺、いつ来ても、境
内を掘り返している。今は、来春に向けて水仙の球根を入れているのだろう。幸運にも本堂の東
側に、コスモスが申し訳程度に咲いている。本堂を囲む観音菩薩の石像、前から見るとなかな
かに愛くるしい容姿をしているが、側面から見るとこれまた美人ぞろいであることに、初めて気
づいた。清楚なお顔だちをされている。


 浄福寺鬼瓦.jpg  夕日地蔵.jpg
 浄福寺の白壁に埋め込まれた鬼瓦         夕日地蔵



般若寺を出て、夕日地蔵に向かう。会津八一の歌の『ならさかの いしのほとけの おとがひに
こさめながるる はるはきにけり』とある、「いしのほとけ」が夕日地蔵。会津八一がこの地を
訪れたのは、菜種梅雨の頃だったのだろう。おとがい、つまり下あごから雨の滴が流れ落ちるほ
どの日に、会津八一は、傘をさして般若寺に向い奈良阪ゆっくりと登って行ったのだろう。 
今日見たお地蔵様、なんだか、照れ笑いした時の、高見盛のように見えるぞ。 それにしても、
歌人の、感受性の豊かさ、表現力に驚かされる。
「しひゃくねん のほるくだる たびひとを ならざかのほとけ いますればこそ」 一首でき
ましたぞ。


 
 壷の絵.jpg  茶壷を飾った町屋の格子.jpg


奈良阪は、京都方面から来たときの奈良に入る玄関口として栄えたと云われるとおり、今も道の
両側には格子づくりの町屋が残り、往時の賑わいを偲ばせる。軒下に巨大な茶壷(?)が飾られて
いる家がある。木の柵で囲われているが、結構な見ものである。


 しせんべい・たけだ.jpg  奥野傘店飾窓.jpg

 


鹿せんべい」の製造・卸の店があった。「まちかど美術館」と書いた木札が出ているので覗い
てみたが、なんだか入りにくい。
奥野傘店のショーウインドーには、「なーむくん」と「マントくん」を描いた提灯が飾られてい
る。傘の骨が「竹」だった事を思い出したのだ。
平城遷都1300年祭、もう一ヶ月もしないうちに幕を開ける。奈良の街にその予兆は感じられない。



 奈良阪東大寺遠望.jpg

 
2005年9月、名古屋から奈良へ向かう道で、目の前に、突然、巨大な寺が見え時の感動を今もは
っきりと覚えている。その寺が東大寺大仏殿であり、その場所が奈良阪であったことを知ったの
は、今年の夏のことだった。
 
今日、奈良阪から東大寺大仏殿を見た。この景色、タイムマシンから見下ろすような、現実では
ない、映画を見る時のような不思議な感覚、今回も変わらなかった。



 s-PC065870補整.jpg
 佐保川の土手に咲く小菊が印象的


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2009年12月06日

山の辺の道 長岳寺近くの紅葉

12月最初の1日、崇神天皇陵から衾田陵の間の「山の辺の道」を歩いた。もともとの目的は、
衾田陵と、念仏寺へ行く道の分れるところにある、山茶花の咲く小さなお堂を撮ることにあった。


 分かれ道の小さなお堂.jpg


当然赤い花が咲いているのと思っていたが、行ってみると白い花だった。太陽は既に高く、白
い花も陰影のないフラット画面になり、思っていたように撮れない。少しシャッターを切ったも
ののあきらめ、切り上げる。


 龍王山と衾田陵.jpg


衾田陵
気を取り直して手白香皇女の眠る衾田陵に向かう。ここは、入江泰吉氏の「雪の引手の山裾、衾
道」
を、写真集で見て以来、何度も通っている。しかし、いまだ納得のゆく絵にならない。自分
の中での想いが足りないからだろう。紅葉の龍王山をバックに石鳥居を取り込んで見る。



長岳寺に戻る
山門脇に立つ、お気に入りの石仏を撮る。この地蔵菩薩像、額の狭い、なかなかに愛嬌のあるお
顔立ちをしている。この仏を刻んだ人物、腕がよいのかそうではないのか自分には判断できない
が、独特な形の、これだけ大きな自然石を使うセンスと庶民的な菩薩の顔を見ると、きっと円空
のような行脚僧が刻んだものではないかと想像する。
 

 長岳寺の地蔵菩薩石像.jpg
 


櫛山古墳の紅葉が美しい。崇神天皇陵のすぐ西隣に接するこの櫛山古墳、双方中円墳という特
異な型をしていて、考古学的には貴種らしいが、天皇陵の影でいま一つ精彩を欠く。だけど、こ
の時季だけは、照葉樹の輝くばかりの紅葉がまわりから際立たせる。
周濠の土手に一体の石仏が建っている。これもお地蔵様だが、黄葉を光背に変えて、今日はいい
感じじゃないか。


 櫛山古墳の紅葉.jpg 土手の石仏.jpg
 


※櫛山古墳 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%9B%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

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2009年12月05日

ならやま初冬の景色

 錦秋.jpg


ならやま」は奈良市と京都府の境に横たわる連丘で佐保・佐紀の丘陵と呼ばれる。地図でこの
一帯は「奈良阪町」「法連佐保山町」の住所表示になる。
ならやまの南側は、聖武天皇・皇后陵や元明・元正天皇陵などの史跡が集中し、奈良時代におい
ては高貴な方々の墓所のおかれた地域だ。驚くことに今も土葬の慣習が残る。

 
 ならやま六地蔵.jpg
 六地蔵


奈良・大和路を辿ってみて感心するのは、そこに住む人々が、古墳などの遺跡を崩すことなく、
消極的ではあろうが、保護してきたことだ。死者の住処として忌避してきたのかも知れないが、
意識し続けていることは間違いない。残念なことに、破壊するのはいつも為政者たちだった。
ならやまにある光明皇后陵を破壊したのは、1559年多門城を建造した室町時代の武将・松永久秀
であり、その城跡に、昭和22年、奈良市立若草中学を建設したのは奈良の行政である。


 里山の藁坊主.jpg



今に残るならやまは、照葉樹に覆われ、木々は赤や黄、枯葉色のパッチワークのごとく色変わり
している。錦(にしき)の織物のように美しい、錦秋の山並が広がる。
木の葉の色変わりは、種類によりことなるが、この時期やわらかな黄色を見せるものに、針桐(は
りぎり)
がある。人の手のひらより大きな三つ葉状で、樫やくぬぎの葉が落ちた頃、発光したよ
うな浅黄色が目を引く。「はりぎり」とは棘のある桐のことで、建築関係では「セン」と言う。

 
 s-針桐の黄葉.jpg
 黄葉した針桐


ならやまの内に人が居住し始めたのは古いことではないようだ。せいぜい昭和の戦後からだろう。
わずかに広ける谷間は、田畑などの耕作地になっているが、稲作離れの影響で、野原に戻ってし
まっているところも多い。このままこの国の人口減少が進んで行けば、この地域が意外にも過疎
地になり、再び忌避地として無人化してゆくこともあるだろう。とにかく辺鄙なところだから。


 藁坊主と柿木.jpg 葉牡丹.jpg
 苅田の柿木               葉牡丹、蕪、大根の葉が整列

 ならやまの歌を探す
「ならやま」をモチーフにした歌を探してみたが以外にも少ない。
会津八一の歌に、「ならやまの したはのくぬぎ いろにいでて わぎへのかたを おもひぞわ
がする」と、ならやまを歌った一首がある。ならやまの景色を見て、武蔵野の我が家を思い起こ
したものという。

万葉集にある橘良麻呂の一首が、この時季にとてもよく似合う。
「ならやまの みねのもみじは とればちる しぐれのあめし まなくふるらし」
漢文では、「平山乃 峯丹黄葉 取者落 礼能雨師 無間零良志」と表記する。 橘良麻呂につ
いては知る術がないが、「取者落」の三文字が気にかかるところである。




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2009年12月04日

唐招提寺 名残の紅葉

 金堂
紅葉の時季は過ぎてしまっているはず。でも、少しでもその名残を見ることができたならと願っ
て、唐招提寺の南大門を入った。南に傾いた冬の朝日が、金堂に至る広い道に濃い影を落として
いる。平成の大修理を終え新しくなった金堂を遠くに見て、南大門の石階を降りることができず、
しばらくの間、見続けてしまった。瓦と木で造られた天平の建物、朝の柔らかな陽を受けてたた
ずむその姿は、心地よい暖かな命を宿し持っているようだ。


 南大門から金堂を望む.jpg
 

千手観音立像のこと
8時30分の開門直後に入山した時は人影もまばらだったが、その後、参拝に訪れる人の絶えるこ
となく、金堂の前は、いつも人であふれている。仏像にはあまり興味はないが、最近、写真家「土門拳
の撮った千手観音を見て以来、実物を見たくて仕方がなかった。
正面から間近に見た千手観音立像、実物はすばらしいものだった。だけど、土門拳氏の写真に
あった迫力を少しも感じることができなかった。


歌人山口誓子の歌に、『永き日を千の手載せる握る垂らす』という一句がある。氏の紀行文集に、
『群がっている小さい手は叫びのように見えたが、それらを無視すると、上部の手はものを載
せ、両側の手はものを握り、下部の手はものを垂らしていることを知った。手のそのような形態
を、私は「載せる握る垂らす」と表現した。荒々しく動詞を重ねたのである』と、書かれている。
全ての手がそのようになっているわけではないが、確かに大きな手はいろいろなモノを、載せ、
握り、垂らしている。なんという細工。恐れ入ったのであります。


 金堂西面.jpg
 


金堂の仏像、今は外からしか見られないが、かつては入堂できたようだ。亀井勝一郎「大和古
事風物詩」
の中に、『しかし柱ばかりに感心しているわけにはゆかないので、私は御堂に入る』
とある。昭和17年秋のことである。金堂を西側面から見ると、奥行きは四間ある。前の一間は石
段で拝観のスペース。もう一間は仏像の安置された仏間であり、後方(奥の二間)は壁で仕切ら
れてしまっている。奥行き一間では参拝者が中を通るゆとりはまったく無いと思う。いつの頃か
らか、金堂は中央で仕切られてしまった。そのため拝観者は中に入れなくなったのであろ、か。



 吐水盤.jpg
 

吐水盤(手水鉢)について
今回唐招提寺で見たかったものの一つに「吐水盤」がある。これは、写真家入江泰吉氏の写真を
見て知ったもの。これまで数回訪れたついでに探したが、発見できなかった。大修理の時に持ち
運ばれていたのだろう。 今回は探すまでもなく、金堂の南東、鼓楼の前面にそれを見つけた。


吐水盤については資料・情報に乏しく詳細は分からないが、盤の外面に「因幡守本庄藤原朝臣宗
資寄附
○」の銘が読める。藤原宗資は笠間藩主「本庄宗資」のこと。調べてみると藩主在任の時
期は1692年から99年の間とある。この「吐水盤」江戸元禄期に寄進されたものとわかる。 それ
にしても、この、絶えることなく水を落し続ける吐水盤の仕掛け、当時はどのようなものだった
のだろう。
 

散り残る紅葉
紅葉を求めて訪ねた唐招提寺だが、この寺は、外から見ると黒々とした一つの大きな森のようで、
そこに寺が隠れているとは到底思えない、常緑樹中心の植生である。境内には四季それぞれに咲
く花木はあるものの案外に少ない。探していた紅葉、本坊付近からはす池にかけて、今が盛りの
ごとく、燃えさかっていた。

 
 経蔵の紅葉.jpg はす池前の紅葉.jpg 
 経蔵裏手の楓紅葉



水面に浮かぶ楓の葉と、水に映った紅葉は、まるで万華鏡を覗いたようなにぎやかさ。

風吹けば おつるもみぢば 水きよき みちらぬかげさへ そこにみえつつ (古今集 みつね)』


 水面の紅葉.jpg

posted by ハマー at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐保路・西ノ京 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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